これまで自己肯定感について考え、様々な記事を書いてきました。
自己肯定感についてよく知ると、今度は他人を尊重する事にも気持ちが向いてきて、多様性について考えるようになりました。

そして多様性について考えていくと、どうしても「宗教」が避けては通れないものになってきました。
日本では「人付き合いにおいて宗教の話はタブー」だと思っている人が多いと思います。
タブーだから、人と話す機会がないから、どんどん無知になっていきます。
でもよく考えてください。
「タブー」というのは「知らなくていい」という意味ではなく、「知った上で避けるべき所は避けようね」という意味なのです。
これから日本が迎える多様性のある社会では、無知がトラブルを起こします。
イスラム教徒だという人に豚肉を振舞ったらトラブルになりますよね。
これまでの日本は「悪意がなければ許される」寛容の時代でした。
その寛容は、狭く閉じられた社会でのみ通用する価値観でした。
しかし、これからは「悪意がないというのは、つまり、自分の悪に無自覚という事だ」と解釈される厳しい時代を迎えます。
とはいえ、一言で「宗教」と言っても、あまりにも多種多様で、一つ一つの内容が深く長く、一生をかけても全網羅する事は不可能です。
なので今回はひとまず、宗教へのエントリー記事として、肩の力を抜いて、できるだけ簡単に、ざっくりと概要だけをまとめようと思いました。
この記事に書いてある事がわかれば、これからの世の中で、最低限、人付き合いで大きく外す事はないと思います。
できるだけ教科書をなぞるような、ありきたりなまとめ方はしないように心がけたいと思いました。
それではご覧ください。
神とは
神とは、「信仰の対象」と言う意味です。
平たく言うと「おがむ相手」ですね。
おがむ理由は、「不安を和らげたい」と言うものです。
不安は
・病
・死
の3つからもたらされます。
天候のしくみがわからなかった頃は、洪水や日照りがあると「神罰かもしれない」と考えました。
細菌やウイルスなどが見えなかったので、病気が流行れば「祟りに違いない」と想像しました。
死んだらどうなるのか怖かったので、神と関連づけた物語を作って、強く信じる事で不安を取り除きました。
感染症には、大きく分けて地域特有の風土病と、世界中に広がる疫病の2種類があります。
これと同じように、神にも地域特有の「土着の神」と、世界中に広がる「伝播の神」があります。
土着の神
土着の神には、大きく分けて
・祖霊信仰
の2種類があります。
精霊信仰
山、川、土、空、大地、森、海、風、木、岩、火、太陽、月などの自然に精霊が宿ります。
そこから派生して、人が作ったモニュメント、建物、道具にも精霊が宿ります。
さらには、目に見える物だけでなく、職業、商売、勉強、子宝、護国など、人の営みを表す概念にもキャラクターを想像して拝みます。
祖霊信仰
実在の人物を拝みます。
昔偉かった人、強かった人、賢かった人、感謝したい人の神社を建てます。
先祖代々の墓守をし、供養し続けます。
土着の神の敵
土着の神には、敵が現れます。
「外来の神」による侵攻です。
「外来の神」を拒絶し、戦って敗れ去り、消滅する「土着の神」もいます。
変装して「外来の神」の味方になりすまし、何食わぬ顔で生き残り続ける「土着の神」もいます。
「外来の神」の中でも、次に紹介する「伝播の神」が最も強力に「土着の神」の領域を侵攻しました。
伝播の神
伝播の神には
・多神教
という2大勢力があります。
どちらも、発祥した土地で、3つの段階を経ているという共通点があります。
第1段階
一神教ではエルサレムを聖地とする「ユダヤ教」が生まれました。
多神教ではインドの「バラモン」が生まれました。
この頃は、特定の民族や、特定の土地にのみ継承された閉じられた世界で宗教活動が営まれ、伝播性はありませんでした。
この頃はまだ「土着の神」と同じ姿でした。
第2段階
「ユダヤ教」から「キリスト教」が派生しました。
キリストは「信じれば救われる」と説き、ユダヤ以外の民族も入信可能とする事で、伝播性を獲得しました。
「バラモン」から「仏教」が派生しました。
ブッダは身分に関係なく、読み書きができない人にも理解できるように、文字よりも声で伝える事を徹底し、伝播性を獲得しました。
第3段階
一神教では「イスラム教」、多神教では「ヒンズー教」が派生しました。
生活の隅々にまで及ぶ、より細かく具体的な教え、厳しい戒律や制度設計がなされ、より強力な信仰心を信者に植え付けました。
イスラム教の場合は、キリスト教や仏教と同様に伝播性を持っていました。キリスト教とは争ったので西へはあまり伝播せず、主に発祥地周辺に強く根を張りつつ飛び火のように世界中に散らばる事になりました。
ヒンズー教の場合は、逆に伝播性を失い「土着の神」の姿に戻りました。しかしインドの人口があまりに多いので一大勢力を築くに至りました。
広がり方
「伝播の神」とは、一神教と多神教の「第2段階」の事です。
つまり、キリスト教と仏教です。
※「第3段階」のイスラム教にも伝播性はありましたが、先行したキリスト教や仏教に阻まれる事になりました。
エルサレムとインドは地続きでしたが、キリスト教と仏教は間で混ざり合う事はなく、お互いに逆方向へ伝播していきました。

本当はこうなるはずだった
キリスト教は西へ、仏教は東へ伝播しました。
大陸の端までたどり着いたら、今度は船を使って戻り始めました。
西欧は大航海時代にアフリカやアジアの各地に居留地を作りました。
日本は室町時代に朱印船貿易で東南アジアの各地に居留地を作りました。
ここまでは、キリスト教と仏教は同じ道を辿りました。
しかし、ここからが違いました。
西欧は航海を続けました。
その結果、インディアンの暮らす新大陸を発見しました。
日本は航海をやめました。
その結果、アボリジニの暮らす新大陸にたどり着けませんでした。
そして結局、西欧が先にアボリジニの暮らす大陸にたどり着いてしまいました。
日本の鎖国によって、運命の歯車が大きく狂ったのです。

一神教と多神教の運命
もし、日本が鎖国をせず、東南アジアに点在した日本町を足掛かりに航海を続けていたら、アボリジニの暮らす大陸に先に入植したのは日本だったでしょう。
そこで仏教が伝来し、広まっていたと思います。
一神教の新大陸「アメリカ」。
多神教の新大陸「オーストラリア」(おそらく違う名前になっていたでしょう)。
この2大陸が睨み合う中、イギリス&アメリカの関係と同じように、黄金の国ジパング&ゴールドラッシュのオーストラリアがタッグを組みます。
そういう構図になっていたはずです。
しかし、現実には日本は鎖国しました。
結局、クックがエンデバーでオーストラリアへ上陸。ペリーが日本へ来航しました。
※ここまでの宗教史は、梅棹忠夫著「文明の生態史観」を参考に記載しました。著書の中では「鎖国をしなければ黒船来航よりはるか前に、インドあたりで英国とぶつかり、なんなら一戦交えていたかもしれない」と述べられています。
一神教と多神教の違い
人付き合いで多様性と尊重を考えるには、やはりまず、メジャーどころを押さえるのが賢明です。
なので、一神教と多神教についての違いを、ピックアップしてまとめていきたいと思いました。
これから少しずつ増やしていく予定です。
「神」と言う単語
一神教にとって、拝む相手は一人です。英語では”God”です。
多神教にとって、拝む相手は複数です。英語では”Spirits”です。
一神教の感覚で「神の国」と言うと、「我々は神に選ばれた民だ!お前らとは違う優秀な民族なんだ!」と言うような選民意識と受け取られてしまいます。
一方、多神教の感覚で「神の国」と言うと、「神々が治める土地に、ほんのいっとき、身を寄せさせて頂いている」という神に対する畏怖と謙虚の気持ちが込められます。
「ほんのいっとき」と言うのは、何度も生まれ変わる「輪廻転生」の中の一回の人生、と言う意味です。
「身を寄せさせて頂いている」と言うのは、この土地は人間が支配しているのではなく、神の土地に「仮の宿」を建てて一時的に住まわせて頂いていると言う感謝の意味と、この世に存在する、自分の所有物に対する執着心を捨てる意味が込められます。
「神の国」という言葉を、どのような文脈で話すかによって、意味が変わって来ます。
もし一神教しか知らない人が勘違いして「あいつには選民意識がある!差別主義者だ!」と安易に罵倒していたら、そっと教えてあげましょう。
死んだらどうなるか
一神教では、生前に正しい行いをしていれば、死んでも遠い将来に「復活」できます。
復活に備えて、棺に遺体を保管します。
多神教では、死んだら別の命に「転生」します。
その為、火葬や水葬などで遺体を自然に返します。
肉食
一神教にとって、食べ物は神からの贈り物です。
神に食べることを許された動物を、食べます。
逆に、神に食べることを許されていない動物を食べる異教徒を軽蔑する傾向があります。
多神教にとって「殺生」は良くないことなので、基本的に「肉食」は避けたいものです。
しかし食べないと激しい飢えに苦しむ事がわかっているので、僧侶が代表して「不殺生」を実行します。
在家信者は、僧侶に布施をする事で、自分の代わりを担ってもらうという制度になっています。
僧侶の役割
一神教の僧侶は、最前線で闘う戦士です。
病や死をもたらす邪な異教の神を追い払います。
ファンタジーものの映画やゲームなどで「プリースト」は前衛の攻撃役として描かれる事が多いです。
一方、多神教の僧侶は、医者です。
神への祈りによって患者の病を治療します。
シャーマンなども治療目的で宗教儀式を行いますし、日本でも飛鳥時代などの権力者は、病気にかかると僧侶に読経させて治療しようとしました。
まとめ
ここまで、エッセンスを残す他は、ギリギリまで削ぎ落として、概要をできるだけざっくりとわかりやすく宗教をまとめてみました。
自分を知り、他者を知ろうとする姿勢が、尊重の第一歩だと考えています。
これから少しずつ、加筆修正していく記事にする予定ですので、よろしくお願いします。
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