愛とは何か?【自己愛と対象愛】家族・芸術・スポーツ・企業・民族

自己愛の重なり 考察
自己愛の重なり

「愛とは何か?」

照れ臭い内容ですが、今回は純粋ストレートに、この問いについて考えたいと思います。

この記事を最後まで読んで頂ければ、人生に役立つ、次のようなスキルを得る事ができます。

・世間に惑わされずに、良い愛と悪い愛を見分けられるようになります。

・期待や幻想ではなく、現実的に、受け入れるべき愛と、拒否すべき愛を判断できるようになります。

・人に向ける愛情を、独りよがりにならず、客観的に評価し、反省と改善ができるようになります。

・世の中を、今よりもっと興味深く見る事ができるようになります。

そして、「愛とは何か?」という問いに対して、

私なりの結論を先にお伝えすると、

「愛とは、自己愛と対象愛がバランスよく混ざった贈り物である」

と、なりました。

このような結論になった理由を、詳しく説明していきたいと思います。

愛の成分分析

愛を、遠心分離器にかけてみました。

すると、「自己愛」と「対象愛」の2つの成分に分離されました。

愛=自己愛+対象愛

愛=自己愛+対象愛

数式で表現すると、
愛=自己愛+対象愛
となります。

次に、この分離された「自己愛」と「対象愛」を、一つ一つ詳しく観察していきました。

自己愛とは

私は、自分やこれまで関わってきた人々の自己愛を観察してきました。

その結果、自己愛とは、

「心の利益の為に、自分の好みを表現し、周囲に影響するもの」

である事がわかりました。

心の利益

心の利益とは、

・気分が良くなる
・安心する
・楽しい、面白い、綺麗、美しい、心地よいと思う
・価値を感じる

など、自分にとってポジティブな感情や感覚をもたらすという事です。

自己表現

人は、心の利益の為に、自分の好みを体の内外へ表現し、不快な物は排除し、自分の領域を拡張していこうとします。

自己愛の濃淡

自己愛の拡張

自分の好みを表現する対象と濃淡は、人によって異なります。

・髪型や体型や服装など、自分の外見に強く好みを表現する人もいますし、外見に全く頓着せず、収集するコレクションに強く好みを表現する人もいます。

・自分の私生活を馬鹿にされても平気ですが、自分の職業を馬鹿にされると感情的になる人がいます。

・勤務先に不遇な扱いを受け不満を持っている社員は、会社が誰かに貶められても当然だと考え平気ですが、会社の創立メンバーの場合は自分が貶められたように傷つき怒りを覚えます。

中には、自分の好みを表現する対象を、物だけでなく、他人にまで拡張していく人がいます。

・出かける時に、お嫁さんの着る服にケチをつけ、自分の好みの服に着替えさせるモラハラ夫がいます。

・彼氏の携帯電話を勝手に弄って、アドレス帳から他の女性を削除する束縛女性がいます。

・仕事の成果ではなく、自分に従うイエスマンばかりを好待遇して周囲を固め、そんな自分の姿に嫌悪感や疑問を抱かないワンマン経営者や管理職がいます。

このように、自己愛を表現する対象や濃淡の違いによって、個性や価値観の違いなどが生まれます。

自己愛は、自分に向かうと美的センスや美学になり、人に向かうと愛玩や支配に変わり、周囲へ影響していきます。

周囲へ影響

家族や恋人やご近所やクラスメイトなど生活圏が近い人同士は、互いのパワーバランスによって自己愛を表現する対象や規模や時間を、自己主張しあったり、譲り合ったり、言わずに遠慮していたり、無自覚に押しつけていたりします。

自己愛の重なりと摩擦

自己愛の重なりと摩擦

自己愛を表現すると、多かれ少なかれ、周囲の人々に影響を及ぼします。

良い影響を及ぼす事もありますし、悪い影響を及ぼす事もあります。

良い影響とは、例えば、

・自分と似た外見の人に親近感を与えて話しかけやすい雰囲気を纏ったり、価値観の合わない人が自然と遠ざかってくれる雰囲気を纏えます。

・知識や経験談を披露して、気分が高揚する自分の姿を見せる事で、相手に楽しさが伝わり、興味を持ってもらえる事があります。

・スポーツで達成した好記録や、絵や音楽などの芸術作品が、不特定多数の見知らぬ他人に感動を与え、元気づける事があります。

上記のように、自分へ向かう自己愛が美的センスや美学などの形で他人へ影響すると、共感を呼び、人を惹きつけ、仲間を作り、感動を与える事があります。

一方、悪い影響の例では、

・自宅の壁を奇抜なデザインに染めて街の景観を壊し、近所の住人に訴えられた有名漫画家がいます。

・日本の、ある有名な寺院に嫁いだ外国出身のお嫁さんが、旦那の死後、神聖な境内で出身国の伝統衣装を着て舞踊を披露し、顰蹙を買った事があります。

・尊敬を集める人の遺影を燃やし踏みつける様子を撮影した映像を、芸術作品として公共のイベントで披露し、政治問題化させた芸術家がいます。

上記のように、自己愛が悪く他人へ影響すると、他人の気持ちや公共の領域を侵害して蔑ろにし、不利益を与える事があります。

 

好きなものを作って見せるだけでなく、不快なものを意図的に排除する行為も、表現の一種と言えます。

自己愛による周囲への影響は、下記のように社会を変化させる事もあります。

・タバコが不快な人々の訴えにより、分煙が進んでいます。

・扇情的な表紙を不快に感じる人々の訴えにより、コンビニから成人向け雑誌が消えました。

・デモ活動等により、性的マイノリティへの理解と配慮が進み始めています。

上記のように、一方の利益は、もう一方にとって不利益となる事があり、公共の場での自己愛のせめぎ合いによって、社会のあり方も変化していきます。

自己愛まとめ

自己愛とは、

「心の利益の為に、自分の好みを表現し、周囲に影響するもの」

です。

プライベートの時間や空間では、自分にとってポジティブな感情や感覚をもたらす物を、自覚の有無に関わらず表現していきます。

また、ネガティブな感情や感覚をもたらすものを、自覚の有無に関わらず排除していきます。

共同生活や公の場など、他人と自己愛が重なる部分では、摩擦が生じます。

摩擦は自分や他人を温める事もありますが、傷つける事もあります。

自由と自分勝手を履き違え、自分の気分が良くなる事を優先しすぎ、他人への配慮なく自己愛をどこまでも拡張してしまうと、トラブルが起こったり、世間の注目を集めるほどの大きな問題に発展する事があります。

そして、社会は自己愛のぶつかり合いによって変化し続けています。




対象愛とは

私は、自分やこれまで関わってきた人々の対象愛を観察してきました。

その結果、対象愛とは、

「相手の自己愛を増幅させたり、尊重したりする為に表現されるもの」

である事がわかりました。

増幅

まず自己愛をおさらいしますが、自己愛とは、

「心の利益の為に、自分の好みを表現し、周囲に影響するもの」

でした。

人は、自覚の有無に関わらず、心の利益の為に、自分の好みを体の内外へ表現し、不快な物は排除し、自分の領域を拡張していこうとするものです。

ですので、自分の心に利益をもたらす物や時間を与えられたり、不利益な物や時間を排除してもらうと喜びます。

例えば、自分の好きなものをプレゼントしてもらえると、身の回りに自分の好みのものが増えるので、自己愛の質量が増えます。

また、大変な作業を手伝ってもらえると、嫌な時間を短縮できるので、自己愛の増幅に割ける時間が長くなります。

自己愛の濃淡

周囲に自分の好みの物や時間が増える → 自己愛が増幅

そして何より、人が自分を理解してくれていた事に対して、嬉しくなります。

逆に、自己愛の範囲外のものをもらった場合、たとえ高価なプレゼントであっても、嬉しくはならないものです。

人の自己愛を増幅してあげるには、下記のような能力が必要です。

・善意
・善意を伝える能力
・相手にとって好ましい存在、またはふさわしい存在になる能力
・経験に基づく想像力
・情報収集力
・自分の自己愛を、相手の自己愛のように錯覚しない理性

それぞれ、順に説明します。

・善意

良い関係を作りたい、相手を大切にしたいという善意から、対象愛は始まります。

・善意を伝える能力

プレゼントや労力の提供などが、善意に基づく表現である事が、相手に伝わらなければ意味がありません

ただケーキを一緒に食べるよりも、「ハッピーバースデー」と名前が書いてあって、ろうそくに火が灯っている方が善意は伝わります。

・相手にとって好ましい存在、またはふさわしい存在になる能力

唐突に見知らぬ誰かから贈り物をもらっても、嬉しくはならないものです。

逆に、何か悪意があるのではないかと警戒します。

また、大して親しくもない人から高価なものをもらっても、戸惑ってしまうでしょう。

相手の自己愛を増幅してあげたいなら、そうするにふさわしい関係を築いていなければなりません。

・経験に基づく想像力

自分が嬉しい、楽しいと感じる事を相手に行ってあげたいという、経験に基づいた想像力が善意を後押しします。

例えば、あの店のケーキより、この店のケーキの方が美味しかったという経験があれば、自信を持って喜んでくれる姿を想像できます。

・情報収集力

相手の好みを知る為に情報収集していないと、具体的な行動を正しく選ぶ事ができません。

甘いものが苦手な人に、甘いものをプレゼントしても相手は喜んでくれません。

・自分の自己愛を、相手の自己愛のように錯覚しない理性

例えば祖父母が孫へのプレゼントを考える時、自分が子供の頃に五月人形や雛人形が欲しかったけど買ってもらえなかった寂しい思い出があると、孫に五月人形や雛人形を買ってあげたくなります。

テレビCMなどで「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。わたしの初節句のおひなさま」と子供がたどたどしくナレーションする声を聞くと、それが世間のスタンダードであり、自分の孫も喜んでくれるかのように錯覚させられます。

自分の自己愛と他人の自己愛は必ずしも一致しないものなので、楽しい幻想に浸りたくなっても、理性で抑える能力が必要なのです。

「毎年飾ったり仕舞ったり、保管に手間をかけるかもしれないが、文化的な行事を経験させてあげたい」と言うような目的があって、実際に手間をかける本人達である両親にも同意を取る事が大切になるでしょう。

尊重

自己愛を表現する対象と濃淡は、自分と他人との間で違いがあります。

自己愛が重なる部分で、その違いが摩擦を生み、傷つけてしまう事がありますが、それを避ける為に、譲り合い、許し合い、遠慮し合う事を尊重と言います。

自己愛の尊重

尊重 = 自己愛の相互理解と譲り合い

尊重とは、自己愛の相互理解と譲り合いです。

ですので、

自分の自己愛の範囲と濃度
相手の自己愛の範囲と濃度

これらを、それぞれ理解していないと尊重はできないものです。

理解するには、以下のような能力が必要です。

・善意
・経験に基づく想像力
・想像力の無さを自覚し、知識で補おうとする姿勢と習慣
・情報収集力
・自分の自己愛に気が付く俯瞰力
・自分と相手の自己愛の変化を察知する能力
・自分の自己愛を、相手の自己愛のように錯覚しない理性
それぞれ、順に説明します。

・善意

良い関係を作りたい、相手を大切にしたいという善意から、尊重は始まります。

・経験に基づく想像力

自分が嬉しい、楽しいと感じる事を相手に行ってあげて、苦しい、悲しいと感じる事は相手にも行わないという、経験に基づいた想像力が善意を後押しします。

・想像力の無さを自覚し、知識で補おうとする姿勢と習慣

例えば、男性は生理痛を経験できないので、女性の生理痛の辛さを普通は想像できません。

しかし、「生理痛で苦しんでいる女性の脳波を測定してみたところ、男性が急所を強打した時と似た脳波が測定された」という結果を知ると、スポーツや事故などで急所を撃った経験のある男性にも女性の生理痛の辛さを、100%の正確性ではないにせよ想像する事ができるようになります。

経験がなくても知識で補おうとする姿勢と習慣が想像力の不足を助けます。

・情報収集力

以前、私の父が庭の草むしりをしていて、母が植えて育てていた植物を刈り取ってしまった事がありました。

植物の近くに差していた目印にも気づかなかったのです。

草むしりという善意に基づく行為でも、母がここに植物を植えて大切に育てているという情報収集を怠り、目印に気づかなかった為に、母の自己愛を侵害してしまったのです。

・自分の自己愛に気が付く俯瞰力

人は、自分の自己愛の範囲と濃度を、全て把握しきれていません。

自分にとって当たり前のものが、他人にとっては強烈な個性に見える事があります。

無自覚な自己愛の濃い部分を、他人が譲歩してくれている事に、実は気がついていないかもしれません。

「どこに気を遣って接してくれているのか」

相手からは、自分の自己愛の範囲と濃度がどのように見えているのかを俯瞰で見つけ出せると、必要な時にその部分を自ら譲歩する選択肢を持てます。

・自分と相手の自己愛の変化を察知する能力

共感は心地よい感覚なので、自己愛が近いもの同士が笑ったり泣いたり、一緒に長い時間を過ごしていると、ついつい同じ感覚で生きているように錯覚する事があります。

しかし、自己愛には元々個人ごとに差異があり、時間の経過と共に変化し続けるものです。

時間の経過と共に自分と相手との関係性は必ず変化するものなので、一緒に過ごしたい時間や濃度なども、お互いの様子を察しながら手探りで補完しあって居心地の良い状態を保っていく努力が必要です。

・自分の自己愛を、相手の自己愛のように錯覚しない理性

「自分が大切に思っている事を、相手も同じように大切に思っているはずだ」と、ついつい錯覚してしまう事があります。

錯覚したままでいると、相手が「嫌だ」と意思表示を示しても、冗談か何かのように軽く捉えてしまいます。

「こんなに大切なものを、まさか本気で嫌だと言っている訳がない」と軽く考えてしまうのです。

例えば、夫婦喧嘩が度々起こり、奥さんが旦那に離婚を切り出しても、旦那は真剣に取り合わないという事があります。

「子供もいるのにまさか本気で離婚したいなどと思っている訳がないだろう」などと考えてしまうのです。

尊重には理性が必要です。

相手が自分に伝えようとしている意思を、フィルターにかけずに、ありのまま受け取るには錯覚しない為に自分を制御する理性が必要なのです。

対象愛まとめ

対象愛とは、

「相手の自己愛を増幅させたり、尊重したりする為に表現されるもの」

です。

相手の自己愛を増幅させるには、まず相手をよく知る必要があります。

それだけでなく、自分の事もよく知り、自分と相手との自己愛の差異をよく知る必要があります。

また、自己愛は時間の経過と共に変化する事を理解しておく必要があります。

対象愛とは、理性の産物なのです。




自己愛と対象愛の比率1 〜3つのサンプル〜

ここまで、自己愛と対象愛を説明してきました。

愛とは、自己愛と対象愛が混ざったものです。

数式で表現すると、

愛=自己愛+対象愛
となります。

自己愛と対象愛が混ざっている様子を具体的に考えるにあたって、次にあげる3つのサンプルを用意しました。

・キラキラネーム
・孫にアレルギー食品を食べさせる祖父母
・ストーカー

それぞれ遠心分離器にかけて、見ていこうと思います。

サンプル1「キラキラネーム」

多くの場合、人が生まれて初めて受けとる愛は、名前です。

名前には、次の2つの愛が混ざっています。

・親が子供を、こう呼びたい、こう書きたい、こう読ませたい、という願望や好みを投影する「自己愛」。

・文字に含まれる意味、音声や字面などから感じる可愛さや格好良さなどの印象、画数などから読み取る運勢など、子供がこれから生きていく上で生じる利益を与えたいと願いを込める「対象愛」。

名前というのは、親の自覚の有無とは無関係に、自己愛が強い名前と、対象愛が強い名前に分かれます。

中でも、キラキラネームと呼ばれるものは、著しく自己愛の比率が高い名前であると私は感じます。

親が、こう呼びたい、こう書きたい、こう読ませたいと思う気持ちがまず強く反映されています。

そして、文字に含まれる意味や、字面の愛らしさや格好よさを与えたいというような願いも含まれ、それが子供の人生でプラスに働く事もあるでしょう。

しかし、その名前によって子供が成長過程で感じる周囲の困惑や、間違われる度に訂正し説明する煩わしさなど、子供自身が受ける不利益に対する配慮が少なく、マイナス面が目立ってしまうので、願いは相殺され、対象愛が著しく低くなってしまいます。

自己愛と対象愛の比率_キラキラネーム

自己愛と対象愛の比率_キラキラネーム

※上のグラフの数値に根拠はなく、イメージです。

愛には、美しい愛と、醜い愛があります。

その美醜の違いは、この自己愛と対象愛の比率にあります。

自己愛の比率が高すぎると醜くなってしまう場合があるのです。

キラキラネームが揶揄されるのは、自己愛の比率が著しく高い為に、表面の装飾的な美しさの裏に、醜さが透けて見えてしまうからです。

その結果、周囲は名付けられた子供に対する憐憫と、親に対する非難の気持ちを抱きます。

名付けられた子供の方も、揶揄してくる周囲に反発して過剰に自分の名前に執着的な誇りを持ってしまったり、逆に自分の名前を嫌って親を恨み、大人になってからわざわざ改名する事もあります。

キラキラネームの例からわかることは、

・愛を美しくするには、自己愛を醜くならない範囲に抑えつつ、対象愛の純度を高めるバランス感覚が必要である

と言うことができます。

サンプル2「孫にアレルギー食品を食べさせる祖父母」

多くの場合、子供に与える食べ物には、愛が込められています。

子供に食べ物を与える行為には、次の2つの愛が混ざっています。

・美味しい物を食べた時の喜ぶ顔を見たいという「自己愛」
・子供の健康や成長などを願う「対象愛」

ある家族に、アトピー性皮膚炎を患っている子供がいました。

医者にかかったところ、お米に含まれるタンパク質に体がアレルギー反応を起こしてしまうのが原因である事がわかり、それ以来、両親は日々子供の食べ物に神経を使っていました。

両親は同居する祖父母にも、子供のお米アレルギーについて何度も詳しく伝えていました。

ところがある日、子供を祖父母に預かってもらった所、祖父母が孫にお米を食べさせてしまったのです。

そして、祖父母は抗議する両親に向かって、こう言い放ちました。

「ちょっとくらい大丈夫!大丈夫!日本人なんだから!」

これも、自己愛が強く出てしまい、対象愛が薄まってしまった結果、愛が醜くなってしまった例です。

祖父母は、若い頃「食べ物を粗末にするな」と言われて育った世代でした。

また、日本人は農耕民族で千年以上稲作で命を繋いで来たのだから、まさかお米が人体に悪いものかと、少しくらい食べさせてもそれほど大した問題にはならないはずだと、軽く考えていました。

しかし、この数十年で医療環境や食糧事情は劇的に変化しており、乳児の生存率は飛躍的に向上しました。

一昔前の人々が強く元気な人達ばかりに見えるのは、弱い個体が生存できず、強い個体しか生き残れなかった為です。

医療環境と食糧事情の発達のおかげで、お米にアレルギーを起こす弱い個体でも生存できるようになった現代では、他の食糧で栄養を十分に接種する事ができます。

祖父母は「自分が美味しいと感じるものを、子供にも食べさせてあげて、美味しいという気分を共有したい」という自己愛を優先しすぎた為に、「空腹を満たしてあげた」というプラスの結果が「後でアレルギーで苦しむ」というマイナスの結果と相殺されてしまい、対象愛がとても低くなってしまいました。

自己愛と対象愛_アレルギー食品

自己愛と対象愛の比率_孫にアレルギー食品を食べさせた祖父母

※上のグラフの数値に根拠はなく、イメージです。

このサンプルからわかる事は、対象愛には思いやりの他にも、以下の能力が必要であるという事です。

・世の中の変化を敏感に察知する為に、情報収集する姿勢と理解力
・願望を抑える理性
・自分の中にある常識を疑い、知識と態度を常にアップデートしていく柔軟性

サンプル1と同様に、対象愛には理性が必要である事がわかります。

サンプル3「ストーカー」

人を好きで好きでしょうがなくなった時、「愛しているから」という理由で、あらゆる行為が正当化される訳ではありません。

拒絶された相手へしつこく付きまとい、恐怖や暴力など、精神的、物理的な加害行為を行う者をストーカーと言います。

ストーカーは、

・妄想症
・自他境界が曖昧とされる境界性人格障害
・自信過剰型
・未練執着型

・ナルシスト
・サイコパス

など様々なタイプに分類されていますが、上記、全てのタイプに共通するのは、「自己愛ばかりが強く、対象愛がほぼ皆無である」という点です。

自己愛と対象愛_ストーカー

自己愛と対象愛の比率_ストーカー

※上のグラフの数値に根拠はなく、イメージです。

・相手の自己愛を増幅する為に、ふさわしい自分になる事ができません。
・自分の自己愛を相手に押しつけるばかりで、尊重する為の善意がありません。
・自分の心の利益の為に、相手の心を蔑ろにします。
・相手を自分の思い通りにしたい気持ちが強く、そんな自分の意思に無自覚な上、相手を理解していない自分にも気がつきません。
・妄想などによって、自分の自己愛を相手の自己愛のように錯覚します。

上記に加えて、しつこさ、暴力性などの変質的な特徴が加わり継続的な行動につながる者がストーカーとなります。

彼らには理性というものが存在していないのです。

自己愛と対象愛の比率2 〜3つの考察〜

愛を自己愛と対象愛に分けて、

・自己愛は「自分の好みを表現すること」である。
・対象愛は「相手の好みを増幅・尊重すること」である。

そして、

・愛とは「自己愛と対象愛の混ざり物」である。

などと考えていると、私の頭の中で、この構図によく似た下記のような現象が連想されました。

・アートとデザイン
・スポーツや格闘技
・企業理念

それぞれ考察してみたいと思います。

考察1「アートとデザイン」

クリエイターには、大きく分けて2種類の人が存在します。

アーティストと、デザイナーです。

アーティストとは、自分が作りたい物を作り、客がついた人です。

ただし、アーティストであっても、ニュースや世界情勢などを見て世間の気分を感じ取り作品に反映する事もありますし、コンテストへ作品を応募する際には、受賞作品の傾向を調ベてそのコンテスト向きの作風で作品を仕上げる事があります。

それでも、どんなコンテストへも応募する訳ではなく、どちらかと言うと自分の作りたい気持ちの比率が高い作品作りをするのが、アーティストと呼ばれる人達です。

自己愛と対象愛の比率_アーティスト

比率_アーティスト

※上のグラフの数値に根拠はなく、イメージです。

それに対して、デザイナーとは、客との打ち合わせなどを経て、客が求める物を作る人達です。

ただし、デザイナーであっても、可能な範囲で作品に自分の好みや特徴を反映させる事をします。

そうする事で客の心に驚きや興奮や共感などを呼び起こし、より高い次元で客の満足度が上がる事があります。

それでも、客の要求を崩してまで自分の好みを優先する事はなく、どちらかと言うと、客の求める物を作って満足してもらいたいという気持ちの比率が高い作品作りをするのが、デザイナーと呼ばれる人達です。

自己愛と対象愛の比率_デザイナー

比率_デザイナー

※上のグラフの数値に根拠はなく、イメージです。

つまり、

・アートとは自己愛の比率が高い作品作りをする事
・デザインとは対象愛の比率が高い作品作りをする事

と言うことができるのではないか、と私は考えています。

考察2「スポーツや格闘技」

スポーツは、基本的には自己愛のぶつかり合いだと思っています。

記録を測定するスポーツでは、「自分の記録を更新したい」「他人の記録を超えたい」などの気持ちが競争を生みます。

球技などの対戦型スポーツや格闘技などでは、「相手に勝ちたい」「思い通りにしたい」「支配したい」「認めさせたい」と言う気持ちのぶつかり合いが起こります。

しかし、ルールの範囲内であっても、勝ちにつながるチャンスをわざと逃して、対戦相手を助ける場合があります。

例えば、

・サッカーでは相手チームの選手が倒れていると、ボールをわざと外へ出してプレイを中断し、救助する時間を作ってあげることがあります。

・自転車のロードレースでは、ライバルのタイヤがパンクすると、スピードアップせずに修理から戻ってくるまで待ってから勝負を再開することがあります。

・柔道ではオリンピックの決勝で対戦相手が怪我している事を知りながら、その弱点を攻めずに戦い、負けてしまった選手が称賛されました。

勝ちたいと言う気持ちに、ルールの遵守だけでなく、フェアプレイの精神が混ざると、スポーツや格闘技は美しくなります。

逆に、勝ちたいと言う気持ちばかりが先行し、ルール違反を繰り返したり、フェアプレイの精神がなくなると、途端にスポーツや格闘技は醜くなります。

自己愛と対象愛の比率によって、美醜の様相が変わる様子が、愛に似ているかもしれないと私は考えています。

考察3「企業理念」

日本の代表的な電機メーカーであるソニーと富士通。

この2社を見比べると対照的で興味深いです。

まずはソニーから見ていきましょう。

ソニーには有名な『開発18か条』と言うものがあります。

一部を抜粋して紹介します。

『SONY開発18か条(一部抜粋)』

• 第2条:客の目線ではなく自分の目線でモノをつくれ。
• 第13条:他社の動きを気にし始めるのは負けの始まりだ。
• 第17条:市場は調査するものではなく創造するものだ。世界初の商品を出すのに、調査のしようがないし、調査してもあてにならない。
• 第18条:不幸にして意気地のない上司についたときは新しいアイデアは上司に黙って、まず、ものをつくれ。

ソニーは基本的に「自分が欲しいと思うものをまず作り、それに共感してくれる人が客になる」と言う、歴史を経てきました。

アーティストとデザイナーで言えば、どちらかと言うとアーティスト寄りのものつくりしています。

しかし、企業として利益を上げなければいけない宿命から、自我を通すだけでは生き残れないので、売れないものは売れるように改善したり、撤退したりするデザイン活動も行われます。

つまり、ソニーは「アート」→「デザイン」と言う順番なのです。

ソニーに根強いファンが多いのは、これが理由だと思います。

 

対して富士通は、次のような企業理念を掲げたり、実績を作ってきた企業です。

・年に一つは、世界一のプロダクトを作る挑戦
顧客目線を大切に
・イノベーションによる社会貢献と結びつき
・約束を守り、期待に応え、信頼と共感をえる

例えば「世界一薄いノートパソコン」「世界一頑丈なスマートホン」「世界一速いスーパーコンピュータ」など、毎年1つは世界一を目指し、挑戦します。

そして社会インフラや官公庁に富士通製品が多く入っている事からもわかるように、まず市場との結びつきを作り、顧客目線で顧客の求める製品やサービスを作り、社会貢献し、期待に応え、信頼と共感を得ています。

つまり、他社との比較で抜きんでたり、市場調査を徹底的に行うなど、デザイン活動から始まるものつくりをしているのです。

しかし、他社の作った市場に参入するにあたって、同じ製品を外見と価格を変えて出すだけでは、自社の独自性が失われ、ブランドイメージが落ち、魅力がなくなってしまうので、競合製品のあるプロダクトには必ず独自機能を搭載するようにしています。

つまり、富士通は「デザイン」→「アート」と言う順番なのです。

富士通ブランドに安心のイメージが強いのは、これが理由だと思います。

 

同じ業界でも、対照的な企業理念で生き残ってきた2社の存在はとても興味深いものです。

ものつくりのアート性とデザイン性のバランスが、自己愛と対象愛のバランスを連想させます。




愛のエネルギー源

愛はどこから生まれるのでしょうか。

愛のエネルギー源は何でしょうか。

人の感情が脳内ホルモンや神経を流れる電気信号として観測できるようになった事で、愛も霊的で不確かな物ではなく、ドーパミンやオキシトシンなど物質的なものだという事がわかってきました。

愛が物質的なものであるならば、愛のエネルギー源も、体が外部から吸収している食べ物や飲み物や空気や微生物などから得ているはずです。

その答えの手がかりを、精神分析で有名な心理学者フロイト(Sigmund Freud)と、動物行動学者リチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』(Clinton Richard Dawkins “The Selfish Gene”)にヒントを求めつつ、自分なりの解釈を作ってみたいと思いました。

エネルギーフロー

人間の体は、生命活動する為のエネルギーを食べ物などから得ると、そのエネルギーを内向きと外向きに利用します。

多くの場合、そのエネルギーは「より良く生きたい」という本能に従って利用されます。

三大欲求と呼ばれる欲求のうち、食欲と睡眠欲は生命維持の為に体のコンディションを整える内向きの欲求です。

人間は基本的に、いつまでも「より良く、より長く生きたい」のですが、永遠には生きられない事がわかっているので、そのエネルギーを未来に命を繋ぐ為の手段として、外に向け始めます。

命を繋ぐ為の手段が直接的なものであれば、三大欲求のうちの一つである外向きの性的欲求に向かいます。

これをエロスと言います。

エロスのエネルギーフロー

エロスのエネルギーフロー

ただし、命を直接的に繋ぐと言っても、体の仕組み、相手の選別、金銭、社会的制限などの事情で、人数的にも時間的にも限界があります。

その限界を意識すると、今度はそのエネルギーを、間接的に繋ぐ手段へと向け始めます。

命を間接的に繋ぐというのは、命を自分の代わりに別の人に繋いで貰う為に支援するという事です。

ここから先が、愛の領域になると、私は考えました。

エネルギーフローが愛の領域へ

エネルギーフローが愛の領域へ

愛とは、他人に「より良く生きて貰う」為の支援であり、その最終目的は「自分の代わりに命を未来へ繋いで貰う」事です。

優先順位

多くの人間には、自分のDNAを未来に残したいという本能があります。

その延長線上に、自分のDNAに近い生き物を未来に残したいという本能があります。

※この本能には個人差があり、脳科学的には、オキシトシンというホルモンが多く分泌されている人ほど、民族愛が強く働く可能性があるという実験結果と考察があります。 (参考リンク→ 英語論文 ,日本語紹介サイト)

命を直接的に繋いだ自分の子供や、親族の子供というのは、万が一にも事故や病気などで失われないように、大切に守りたいと思うものです。

また、自分や親族の子供ではなくても、同じ地域の住人や同じ人種、同じ価値観や文化を共有する者を優遇したり仲良くしたりすれば、自分に近いDNAが未来に残っていく可能性が高まります。

なので、愛を与える対象として選ばれる人というのは、自覚の有無に関わらず、下記のような優先順位がある事が多いでしょう。

愛の対象の優先順位例(個人差あり)
1、子孫
2、子孫に利益をもたらす知人や生物
3、同じ趣味や宗教の仲間
4、親族
5、ご近所
6、同郷の人
7、同じ民族
8、同じ人種
9、他の生物など

自分から遠く離れていき、殆ど自分とは関わりのない人々や動植物にまで愛が及ぶ場合、これを博愛と言います。

上記の優先順位の例で言えば、数字が大きいほど博愛度が高いと言えます。

博愛度の例

博愛度の例

人道や人類愛は、民族や国籍を超えた博愛精神を表すものです。

動物愛護や生物多様性は、人類を超えた博愛精神を表すものと言えるでしょう。

博愛度の優先順位や濃淡には個人差があるのが自然であり、絶対的に正しいものはなく、差別主義と決めつける正当な理由もなく、どんな人にも尊重されるべき価値観があるのではないかと考えています。




愛の優先順位について考察

愛の優先順位を考えながら、私の頭の中で以下の事例が連想されました。

・高校野球
・日本人という民族単位

それぞれ、順にご紹介していきます。

考察1「高校野球」

ある年、高校野球の青森県代表のメンバー構成が話題となりました。

青森県代表なのに、スターティングメンバーの殆どの生徒が大阪府出身だったのです。

彼らは甲子園決勝まで進みましたが、決勝の対戦相手が大阪府代表だったので、「今年の甲子園決勝は、大阪vs大阪」などと揶揄されました。

これは、都道府県ごとの代表校が対戦する大会形式で、地元愛が刺激される甲子園という舞台である為に話題になった例です。

地元の学校が甲子園へ出場するとなると、県内で寄付金が集められます。

しかしそのお金と声援は、大半は地元出身者の為に使われなかったのです。

野球の為に地元を離れて、わざわざ大阪から青森まで生活を移し、甲子園出場を果たした球児や家族の努力の価値が曇る事は決してありません。

しかし、県内の生活者一人一人の地元愛には個人差があり、ほとんどが県外出身者で構成されたチームが「おらが町の代表」としてプレイする姿に、応援する気持ちが減ってしまう人間が出てしまう事は致し方がないとも思うのです。

考察2「日本人という民族単位」

民族について考えていると、日本人のルーツについても考えてみたくなりました。

約2万年前、地球は現在よりも平均気温が5度低く、海水の体積が小さかった為に、現在の日本、インドネシア、カリブ海などの島々は、大陸と地続きでした。

その頃にアフリカから大陸を横断し、東の果てまで生活の拠点を移してきた人々が縄文人です。

縄文人は白血病因子であるATLウイルスに対する抗体を母乳感染によって現在も子孫に受け継いでいます。

その後、地球全体が温暖化し、海水が膨張すると、島々が大陸から分断され、現在の世界地図が出来上がります。

徐々にモンゴロイドが勢力を拡大し、ユーラシア大陸の東端を制覇しますが、孤立した島々や高地の秘境で生活していた人々は生き残る事ができました。

大陸で船の技術が発達すると、1500年ほど前から渡来人が近畿地方を中心に勢力を拡大していきます。

彼らはATLウイルスの抗体を保有していませんでした。

現在のATLウイルス抗体の分布を調べると、大陸にいる殆どの民族は0%ですが、インドネシア、中央アフリカ、カリブ海、フィリピン、パプアニューギニア、オーストラリア、アラスカ、イラン、南米などの少数民族に保有が確認されており、日本では近畿地方を中心に列島の端に向かってグラデーションのように徐々に保有率が高くなり、アイヌ民族と琉球民族が最も保有率が高くなっています。

参考リンク(pdf資料)

この事実からわかるのは、世間でまことしやかに言われているように「日本人だって大陸から日本列島へ渡ってやってきたので、中国人や朝鮮人と元々は同じ民族なのだ。同じ仲間なのだ」という持論を展開する人々への疑問です。

そして、アイヌ民族や琉球民族を、大和民族と分けて別民族として考える人々への疑問です。

民族単位の捉え方と、民族愛と歴史観には個人差があり、民族を超えた博愛精神の濃淡にも個人差があり、その違いはどこまで尊重されるべきで、どこからが差別と罵られるものなのでしょうか。

世界の分け方に絶対的な知見はなく、全ての人に共通する価値観はなく、それらの差異に優劣がある訳も決してありません。

ただただ、新たな知識を得て考え続ける姿勢と習慣と謙虚さが必要であり、他人の価値観への尊重の気持ちを忘れない事が大切だと考えています。

まとめ

「無償の愛は美しい」という言葉がありますが、無償であっても自己愛の押しつけなら害になります。

しかし、対象愛だけでは相手に気持ちが伝わりにくく、自己愛を混ぜる事で愛は伝わりやすくなります。

愛とは、自己愛と対象愛が混ざった贈り物です。

どちらかに偏らず、バランスよく配分した時に美しさが生まれます。

そしてその美しさの感じ方には個人差があります。

他人の愛が自分の価値観に合わないからと言っておかしいと罵るのは、自己愛の暴走となり、醜く見えてしまう事もあります。

自己愛と対象愛のバランスの観点から世の中を見て、自分の生き方を考えるのも興味深いものだと考えています。




コメント

タイトルとURLをコピーしました