自己肯定感は、1994年に心理学者の高垣忠一郎さんによって提唱された言葉です。
類義語である「自信」や「自尊心」などと比べて歴史の浅い言葉ですが、近年急速に広まり、一般的に使われるようになってきてました。
知人との会話で直接使われる事は少ないかもしれませんが、例えば、
「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」
「自己肯定感を高めよう」
など、人々の心の中で日常的に使われているようです。
私は人々の心の中を直接見ることはできませんが、Google検索数の増加がその事実を証明しています。
↓の画像は2004年1月から2019年12月まで「自己肯定感」というキーワードが検索された人気度の動向を表しています。
近年急速に検索数が伸びている様子がわかると思います。
心の悩みを抱えている人が、それだけ多いという事でしょう。
ところで、「私は自己肯定感が低い」と思っている人は、自分の何を感じて「低い」と診断しているのでしょうか。
また、「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」と考える人は、他人のどんな様子を見て「高そう/低そう」と診断しているのでしょうか。
結論から先にお伝えすると、
「自己肯定感が高い/低いなどの診断は、感情と状況から推測しているにすぎない」
という事になります。
以下、その理由を詳しく説明していきたいと思います。
自己肯定感とは(導入)
そもそも、自己肯定感とは何でしょうか。
自己肯定感とは、自分の『ありのままの姿』を肯定する感覚のことです。
『ありのままの姿』とは、誰かから値踏みや評価される事のない、見たままの自然な姿です。
『ありのままの姿』は、年齢や経験によって常に変化しています。
体だけではなく、精神も常に変化しています。
人は、とかく他人との比較によって自分の価値を見つけようとします。
例えば、
・家族、友達、学校の先生、会社の上司などの期待に応えているか
・他人と比べて優れている点があるか
などのように、他人との比較によって持つ事ができるものは自信であって、自己肯定感ではありません。

『ありのままの姿』を、義務や期待や他人と比較しない
自己肯定感とは、
×お金をどれだけ持っているか
×家族や友人関係
×住んでいる家や場所
×誰かに評価された事
こういった自分の実績や所有する財産などがなくても、家庭や、学校や、職場や、社会に存在する事が許されている感覚の事です。
「自己肯定感が低い」状態とは

自己肯定感が低い状態(ありのままの姿<あるべき姿)
”自己肯定感が低い”というのは、上の画像のように自分自身の『ありのままの姿』が、義務や他人の期待などから作られる『あるべき姿』より低く、差が大きい状態を言います。
この自己肯定感の低さは、苦悩する例と、苦悩しない例があります。
苦悩する例
自己肯定感が低い事によって、苦悩する例を挙げてみましょう。
状況を図解すると、以下の画像のようになります。

差を埋められずに苦悩する
『ありのままの姿』と『あるべき姿』との間にある差を、他の何かで埋める事ができなかった場合には、その差が苦悩となります。
例えば、両親が厳しい家庭で育ち、偏差値○○以上の学校へ進学しなさいと望まれている子供が、入学試験に落ちてしまった場合です。
両親の望む『あるべき姿』になれなかった子供が、両親のがっかりする様子を見たり、自分に気を使っている様子を見て、
「自分は価値がない。駄目な人間だ」
と自分を卑下してしまうような場合に、苦悩してしまいます。
また、
・ライバルは合格したのに自分は不合格だった。
など、他人との比較で劣等感を抱く場合にも苦悩が生じます。
『自己否定感に苛まれる』と言い換えても良いかもしれません。

差が自己否定感になる
これは、
「両親の期待に応えられなくて悲しい」
「自分は頑張れなかったダメな奴だ」
というような、自己卑下によって、自己肯定感の低さが苦悩を生んでしまう例です。
評価軸が自分の中にあって、『ありのままの姿』から積み上げた分を加点方式で考えられる人は、自分を卑下しないでしょう。
しかし、評価軸が他人(親や友達など)にあって、『あるべき姿』から足りない分を減点方式で考えてしまう人は、自己否定感に苛まれるのです。

自己評価の加点方式と減点方式
苦悩しない例
逆に、自己肯定感が低くても、苦悩しない例があります。
例えば、以下の画像のような状況です。

自信のある状態(結果・服装・地位・お金などで差を埋める)
『ありのままの姿』と『あるべき姿』との間にある差を、他の何かで埋める事ができた場合には、それが自信となり、自己肯定感の低さが苦悩を生みません。
先ほどの厳しい家庭の子供の例で言うと、偏差値○○以上の学校へ進学しなさいと望まれている子供が、入学試験に合格した場合です。
「両親の期待に応えられてほっとした」
「自分は他人よりも勉強を頑張ったので合格できた」
というように、
・他人と比較して優れている自分
などに安心感や自信を持つと、苦悩が発生しません。
”自己肯定感が低い”状態というのは、
×期待に応えなければならない
×高く評価されたい
×他人と同じか、優れていなければならない
といった観念に支配されている状態を言います。
自信があっても、上記のような観念がある限り、自己肯定感は低いのです。
自信が自己肯定感の低さを覆い隠す事で、苦悩が発生しなくなります。

自己否定感を覆い隠す自信
それでは、自己肯定感が低いまま、自信だけを育てていった場合、その後どのような人生になると思いますか?
他人が自分に期待する『あるべき姿』は、年齢や周囲の変化によってどんどん高くなっていきます。
↓
「良い大学に進学してほしい」
↓
「良い企業に就職してほしい」
↓
「高収入を得てほしい」
これを一生、際限なく埋めていく作業をしていかなければならなくなります。

膨らんでいく『あるべき姿』
そして、多くの人々が競争から脱落していき、『あるべき姿』に追いつけなくなり、苦悩を味わいます。

差を埋められずに苦悩する
中には、能力や環境や幸運に恵まれ、結果を出し続ける人もいるでしょう。
そういう人は、自信と『あるべき姿』をどんどん高めていきます。
しかし、自分の自己肯定感の低さに無自覚でいると、他人に対しても自分と同じものを求めるようになってしまいます。
例えば、両親に結婚を促されて見合いをし、子供を儲け、家族を養う為に嫌な仕事でも長年我慢して勤務し続けた人がいるとします。
その子供が社会人になって、結婚もせず、仕事が長続きせずに転職を繰り返す姿を見ると、一言言いたくなるわけです。
結婚して子供を儲ける事や、嫌な仕事でも我慢して続ける事が『あるべき姿』になると、それを子供にも求めるようになってしまいます。

我慢があるべき姿に変化する
「子供の人生は子供の自由に」と理性ではわかっていても、心の奥底ではわだかまりがあり、無自覚に態度や言葉として出てしまう事があります。
日本人には察する文化があります。
立場の弱い者ほど、立場の強い者の心の機微を敏感に察します。
子供は親の心の機微を敏感に察知し、本人よりも本音を理解してしまう事があります。
自己肯定感が高い状態とは
自己肯定感が高い状態は、2種類あります。
・『理想の姿』を思い描いている状態
の2つです。
それぞれ、順に見ていきましょう。
『ありのままの姿』と『あるべき姿』の大きさに差がない状態

ありのままの姿とあるべき姿に差がない
1つ目は『ありのままの姿』と『あるべき姿』の大きさに差がない状態です。
自分がここに居る事が、他者に望まれていると感じる事ができます。
ありのままの自分の存在が、肯定されている感覚を持つ事ができます。
例えば、外で遊びたいと望んでいる男の子が、外で元気いっぱい遊んで疲れて帰ってきた時、親が「男の子は外で元気に遊ぶべきだ」と思っていれば、『ありのままの姿』と『あるべき姿』には差がありません。
※逆に、家でテレビゲームをして遊びたいと望んでいる男の子がいるとして、親が「男の子は外で元気に遊ぶべきだ」と言ってゲームを一切禁止してしまうと、『ありのままの姿』と『あるべき姿』に差ができてしまいます。
『理想の姿』を思い描いている状態

あるべき姿を捨てて、理想の姿を思い描く
2つ目は、『理想の姿』を思い描いている状態です。
『理想の姿』とは、将来の夢や目標の姿です。
純粋に自分から望んでなりたいと願う、憧れの人物の姿や、ライフスタイルなどです。
『理想の姿』は、親の願望を反映したり、親の顔色を伺って決めたり、学校の先生に「将来の夢を発表しなさい」と指示されて作ったものではありません。
例えば、
・素晴らしいと思ったこと
・可愛い
・格好いい
・楽しい
・興味深い
など、ありのままの心の底から自然と湧き出した感情に従って、なりたい姿を思い描いたものが『理想の姿』です。
例えば、「医者になりたい」と願う2人の青年がいるとしましょう。
1人は、子供の頃から病弱でよく入院をしていて、医者や看護師の働く姿を見ていた所、いつしか憧れを持つようになり、勉強しはじめた。
もう1人は病院の院長の息子で、子供の頃から「この子に病院を継がせたい」という両親の気持ちを何となく察しながら過ごし、義務感に囚われて勉強していた。
前者は『理想の姿』を、後者は『あるべき姿』を見ていると言えます。
自己肯定感の高さを診断する根拠
「私は自己肯定感が低いと思う」
「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」
と考えている人は、自分や他人のどこを見て自己肯定感の高さを診断しているのでしょうか。
自分の自己肯定感の高さ
「私は自己肯定感が低いと思う」と考えている方には、2つのタイプがいます。
・タイプ2:流行にのっている
この2つです。
それぞれ、順に見ていきましょう。
タイプ1:苦悩している
タイプ1の方が、自分の自己肯定感の高さを診断している根拠は、
・感情
・生い立ち
の2つです。
まず感情ですが、日常生活を送る中で、
「自分に自信がない」
「生きている価値がない」
「私は不良品だ」
「消えたい」
「死にたい」
「生まれてこなければよかった」
など、自己否定が多く、苦悩する感情が多い場合、
「だから、私は自己肯定感が低いのだろう」
と類推する事ができます。
そして、その類推を証明する為に、自分の生い立ちを振り返ります。
・学校生活はどうだったか
・自分の性格や能力は人と比べてどうだったか
・社会に出てどんな気持ちを味わってきたか
過去を繰り返し振り返る事で、苦悩の原因を探しだします。
なので、「私は自己肯定感が低い」とはっきり言える人は、
「私はこのような家庭で育った事が原因で、自己肯定感が低くなってしまった」
などのように、必ず深く掘り下げた過去の話を持ち出す事ができます。
タイプ2:流行に乗っている
「自己肯定感」という言葉が流行しているので、日常で自信がない場面に遭遇したり、心がくじけるような場面に遭遇すると「自己肯定感が低い」と簡単に言ってしまう人がいます。
このような方が、自分の自己肯定感の高さを診断している根拠は、
・感情
これだけです。
生い立ちを振り返って原因を探すほどの苦悩は背負っていないのです。
このタイプの方は、「承認欲求」などの言葉も、本当の意味を理解しないまま流行にのって雰囲気で使ってしまっています。
最近SNSなどで「いいね」を沢山貰いたい気持ちを「承認欲求」などと表現する人がいますが、まさにこのタイプです。
他人の自己肯定感の高さ
「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」と推測する人は、
・文章
・社会的立場や地位
などを手がかりに、他人の自己肯定感の高さを推測します。
その際に、心理学に対する造詣があるかないかに関係なく、自己肯定感を正しく理解しているかどうかで、推測の精度に大きな差が生まれます。
タイプA:自己肯定感を理解して推測する人
自己肯定感を理解して推測する人は、対象の
○生い立ち
○家族構成
○社会的地位や立場
など、その人の人生の時間軸や背景に、まずは着目します。
そして、
・日常の態度
・発言
などから現在の自己肯定感の高さを推測します。
その際、
・自尊感情
・自尊心
・プライド
・自己愛
・自己可能感
・自己効力感
・自己有用感
などのような類似する言葉と、自己肯定感との違いが明確にわかっていると、推測の精度が増します。
タイプB:自己肯定感を理解せずに推測する人
自己肯定感を理解せずに推測する人は、まず
・日常の態度
・発言
に着目します。
そして、
・社会的地位や立場
によって、推測を補強します。
タイプBの人は、自信や自尊心などの類似する言葉と自己肯定感との違いがわからず、混同したまま使っています。
なので、
「自己肯定感の高い人って、自信があるよね」
などと言ったりします。
タイプAとタイプBの診断の違い
例えば、現代の日本社会の中枢を担っているキャリア官僚、政治家、大企業の経営者など、社会的地位も高く、自信にあふれる振る舞いを見せる人々がいます。
タイプBは彼らを見て「自己肯定感が高そう」という診断を下してしまいがちです。
まず自信にあふれた振る舞いを見て「高そう」と推測し、そして社会的立場を見て、その推測を補強するからです。
しかし、タイプAは「自己肯定感が低そう」という診断を行う事が往々にしてあります。
タイプAはまず、社会的地位に着目します。
強烈な競争社会を勝ち残ってきた人々が、純粋に『ありのままの自分』の価値観の延長の中で、今を生きている可能性はあまりにも低いからです。
彼らのような社会的立場には、必ず『あるべき姿』が存在します。
・政治家は、自分のやりたい政治をいつでも自由に行える訳ではなく、支援者や支援団体の期待、敵対政党やマスコミの目、外国からの求めに応じて、『あるべき姿』を体現しなければなりません。
・大企業の経営者は、株主、債権者、取引先、顧客、従業員、マスメディアなど、多方面から『あるべき姿』の重圧を受けます。
『あるべき姿』が大きくなれば、自己肯定感は低くなります。

『ありのままの姿』と『あるべき姿』の差が大きくなっていく
自己肯定感の低さを、結果などでカバーできている間は、苦悩が軽減されるでしょう。
努力と幸運によって、期待以上の結果を出せれば、大きな自信をつける事もあるでしょう。

大きな自信
しかし、その自信はいつ失われるともしれない、危ういものです。
今の自分の立ち位置から、『ありのままの姿』が低い位置にあるほど、落差も大きく、落ちれば強い痛みを生じる潜在的な不安と戦う事になるのです。

落差と潜在的な不安
このように、まず社会的地位や立場から、自己肯定感が高く保っていられる可能性が高いか低いか、傾向を見て診断します。
そして、自信にあふれた振る舞いを見ます。
よって、「自己肯定感は低く、自信はある」という診断を、タイプAはする事があるのです。
※この診断内容について詳細に説明したこちらの記事もおすすめです↓

自己診断と、他人に対する診断の共通点
「私は自己肯定感が低い」と自己診断しているケースと、「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」と他人に対して診断しているケースには、共通点があります。
それは、どちらも「推測している」という点です。
自己肯定感は、自分自身に対しては、
・楽しい
・苦しい
・悔しい
などのように、はっきりと自覚できる感情ではありません。
ですから、「私は自己肯定感が低い」と自己診断しているケースについては、自己否定感で苦悩しているという感情から「自己肯定感が低いのではないだろうか」と推測し、過去を振り返って自己分析し、自分の心の状況を見定めて診断します。
自己肯定感は、他人から見ても、
・楽しそう
・苦しそう
・悔しそう
などのように、はっきりと観察できる感情ではありません。
ですから、「あの人は自己肯定感が高そう/低そう」と診断しているケースについては、生い立ちや家族構成や社会的立場などから「自己肯定感が低いのではないだろうか」と個人に対しては推測するしかありませんし、総体に対しては傾向を読む事で精度を上げる事が可能である、という話なのです。
自己肯定感とは(まとめ)
ここまで読んで頂いたうえで、改めて「自己肯定感とは何か」について考えていきたいと思います。
自己肯定感とは、感情のようにはっきり自覚されるものではありません。
自己肯定感の「感」は、感情ではなく、感覚を差すものだからです。
バランス感覚のように、固く安定した低地に立っている時は意識しませんが、高く不安定な場所に立つと、グラグラと不安を覚え、そこで初めて「この不安の正体はなんだろうか」と考え、意識されるものです。

自己肯定感はバランス感覚のようなもの
また、「義務」「期待」「比較」によって『あるべき姿』が高くなると、苦悩が生じます。
『あるべき姿』と『ありのままの姿』の高低差が、自己肯定感の低さの尺度となります。
その尺度を知ろうとする場合、自分自身に対してはまず苦悩という出発点が必要です。
苦悩の原因を探す過程で、『あるべき姿』の高さを知る事により、自己肯定感の低さを認識する事ができるのです。
そして他人の自己肯定感を診断する場合には、生い立ちや社会的地位など、その人を構成する背景から推測する必要があるのです。

苦悩が『あるべき姿』と、自己肯定感の低さを推測させる
ここまで、いかがでしたでしょうか。
自己肯定感とは、感情や状況から推測するものであり、自己肯定感そのものは感情ではないので、自覚できないものなのです。
自己診断する際も、他者を診断する際も、自信や苦悩など表に現れている感情から診断するのは精度が落ちます。
生い立ちや社会的立場など、背景を根拠に含めて診断する必要があるのです。
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