男女平等とは?〜役割と権力、定住と漂泊、治安と技術依存〜

女性の権力しゃもじの入れかた 考察
女性の権力しゃもじの入れかた

以前、ある方のブログの記事が話題になっていました。

その内容は、だいたい次のようなものでした。

家族旅行で和風旅館に宿泊したそうです。

お夕飯を部屋に運んでもらったのですが、ご飯がおひつで運び込まれ、ブログの著者である女性の前に黙って置かれたのだそうです。

おひつの横には人数分のお茶碗が重ねて伏せられています。

家族一人一人の前には御膳台があり、手前中央にちょうどお茶碗がおける程度のスペースがぽっかり空いており、「あとはセルフサービスで」という事のようでした。

和風旅館の配膳

和風旅館の配膳

この状況に、ブログの著者は理不尽さを感じたようです。

「あなたがメイドのように給仕してください。だって奥さんでしょう?」と、旅館に言われたかのように感じたようでした。

これぞ、男尊女卑に染まった日本の悪しき伝統文化の一つだ、とでも言いたそうな筆致でした。

 

はたして旅館のふるまいは、本当にそのような理由によるものなのでしょうか。

 

今回のテーマは、男女平等です。

様々な要素が絡むとても難しい問題ですが、曖昧なままにしておかず、一度自分なりに真剣に考えておきたいと思いました。

また、男女平等を考えることは、このブログのタイトルである自己肯定感に対する理解を深める事にも役立つのではないかと考えました。

今後見聞きするものによっては考え方が変わるかもしれませんが、一旦、現時点での考えを形にしておきたいと思います。

 

結論から先に述べると、男女平等とは「定住者を守り、発展する手段の一つとなりました。

このような結論になった理由を、詳しく説明していきます。

男女平等とは

まず、冒頭のブログ記事を手がかりに、日本における男女平等について考えていきたいと思います。

考えるに当たって、次の2点を手がかりにしました。

・役割と権力のトレードオフ
・役割からの開放と、権力の陳腐化

それでは、順番に説明していきます。

役割と権力のトレードオフ

私は、旅館が奥さんの前に黙っておひつを置いたのは、食卓の場面で一番偉い人が奥さんだからだと思いました。

なぜなら、家族に配膳するご飯の量についての裁量権を、旅館が持つのではなく、旦那に渡すのでもなく、奥さんに渡したからです。

このように考えた理由には、次のような日本の歴史的背景があります。

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現代ほど日本が豊かではなかった頃、お米は貴重だったので、アワやヒエやキビなどの雑穀をお米に混ぜて炊いていました。

雑穀を健康食品として扱う現代のように、お米がほとんどのところに少量ふりかけるような割合ではありません。

豊かな時は「お米5:雑穀5」、貧乏な時は「お米1:雑穀9」のような割合でした。

女性の権力しゃもじの入れかた

女の権力「しゃもじの入れかた」

雑穀はお米に比べて軽いので、炊き上がると上層に雑穀、下層にお米が集まります。

そのような状況では、米と雑穀の配分を知りつつ配膳する者の意のままになります。

しゃもじを浅い角度で入れれば、糖質が少なく口当たりの悪い雑穀が多くなり、深い角度で入れれば糖質が多く口当たりの良い米が多くなるからです。

・夫婦喧嘩をしたあとなど、旦那が「今日は昨日より米が少ないな」などと言い、奥さんが「すみません。でも今年は不作ですから、早いうちから少しでも節約しておかないと」などと返答し、「苦労をかけるな」と稼ぎの少なさを夫が詫び、でも実は昨日と今日で炊いた米の割合は変えていなかった、などという事ができました。

「しゃもじを持つ者」の権力は夫婦間だけではなく、家族全体に影響します。

・例えば自分の実の子供と前妻の子供が同居する家庭などでは、自分の実の子供には深い角度でしゃもじを入れて米を多く食べさせ、継子には浅い角度でしゃもじを入れて雑穀ばかりを食べさせるというようなことができました。

上記に類似する場面としては、野坂昭如著『火垂るの墓』(高畑勲監督のアニメ映画でも有名)で、主人公の兄弟が親戚の家でおばさんに受けた態度からも見てとれると思います。他にも、

・姑がしゃもじを持てば、嫁のお米の量を調節できます。嫁は一緒に炊事をしていて、当然米の割合を知っていますから、米の量で姑が現在の自分に対してどのような扱いをしているか察することができました。

これらの事例からわかるように、かつての日本では食糧が今ほど豊かではなかった為に、台所に立つ事としゃもじを持つ事は、労働を提供する代わりに絶大な権力を持つ事を意味しました。

つまり、炊事という役割を担う代わりに、配膳という権力を手に入れるトレードオフが成立していた訳です。

勤務先では高名な包丁人や料理人ですら、家庭では台所に立たなかったことからもわかるように、炊事を「女の仕事」と呼ぶのは単なる蔑みではなく、「立ち入るべからざる」尊重を含んでいる場合もありました。

(この辺りの事情は日本固有と捉えてください。例えばモンゴル人の男性が力士を目指して来日した時に、相撲部屋で食事の用意を命じられて「これは女の仕事だ」と不満をもってしまう感情とは異なるからです。)

 

ところが、戦後の食糧難を経て、高度経済成長によって日本は豊かになりました。

いつしか雑穀の割合がほとんど0に近くなると同時に、しゃもじの権力が陳腐化し、代わりに財布を奥さんが持つようになりました。

・「旦那のお小遣い」
・「我が家の大蔵省」
・「かかあ天下」
・「尻に敷かれる」
・「亭主元気で留守がいい」

などの言葉は世界共通ではなく、戦後50年ほどの間における日本家庭の特徴の一つです。

(よその国では、例えば主人が奥さんに、毎朝その日に必要なだけの食費を渡し、奥さんに日常の家計の裁量権は無いのがスタンダードな場合もあるわけです。)

 

戦後に日本が豊かさを手に入れ、家電が普及し、家庭内での労働環境と家事負担が減っていくにつれ、権力の形が徐々に「しゃもじ」から「財布」へ移行していきました。

しかし、その意識も地域や世代によってかなりがありました。

平成に入っても「しゃもじ」の権力意識が色濃く残る地方がまだまだ存在していた訳です。

新旧、様々な価値観が混在する世の中にあって、「和風旅館」という商売をする場合、

・オーナーや女将の価値観
・どんな客層をターゲットにするか
・顧客満足度やクレーム
・競合との駆け引きと棲み分け
・ブランドイメージ

などの経営戦略や、経験や習慣によってサービスの提供方法が変わってくるのは当然の成り行きでしょう。

つまり、旅館によって下記のようなサービスの違いを生み出します。

1、「お客様を日常の家事から開放させてあげたい」というサービス精神の旅館は、配膳もすべて従業員が行うでしょう。

2、「あなたがこの食卓の権力者ですね」と認め尊重する伝統文化を無自覚にサービスに反映させている旅館は、奥さんに配膳を委ねるでしょう。(こういったサービスの旅館は、必ずしも従業員教育などによって意図的に徹底させるのではなく、土地や個人の価値観を元に「以心伝心」や「阿吽の呼吸」などによって習慣的に形作られていく場合もあるでしょう)

3、どちらにも対応したい場合は、最初の一杯だけ従業員が配膳し、おかわりの分は隅っこに置いておく、などの折衷案をとるでしょう。

冒頭のブログの著者は、1や3のサービスを期待しながら、2の旅館に宿泊してしまった「一見さん」の例だと、私は思いました。

逆に、1や3のサービスの旅館に不満を感じる「一見さん」だっていたでしょう。

どちらも否定されるものではありませんし、優劣もありません。

こういった当たり外れが嫌な旅行者は、気に入った旅館を見つけたらリピートするようになり、いわゆる「常連さん」になって行くのでしょう。

 

先ほどお伝えしたような「役割と権力のトレードオフ」は、世界中どこにでもあるものではなく、日本の特徴の一つである事を忘れてはいけません。

女性が家事の役割だけ担い、配膳の裁量もなく、財布を持たせない国もあるからです。

なので、例えば「男女平等」という言葉についても、どの国の、どの世代の、どのような境遇や立場の人が発言したかによって、ニュアンスは大きく異なります。

まずは、あくまで日本に焦点を絞って男女平等を考えていき、少しずつ比較しながら世界に目を向けていくと良いのではないかと考えています。




役割からの開放と、権力の陳腐化

かつての日本における男女の役割分担と分権は、以下のように大別できます。

男女間のトレードオフ

男女間のトレードオフ

男性は「家の外」で役割を担う代わりに、女性に「男性が家督相続する」権利に踏み込ませないことで、トレードオフを成立させました。

女性は「家の内」で役割を担う代わりに、男性に「女性が日常の経済を裁量する」権利に踏み込ませないことで、トレードオフを成立させました。(大きなお金が動く時は別です。)

上記のような役割分担と分権が必要だった理由は、下記のような要因によります。

・食糧の少なさと医術の貧弱さ
・治安の悪さ
・インフラの脆弱さ

一言で表すと、「現代では想像を絶するほど厳しい環境」ということです。

厳しい環境でコミュニティと住人が、効率よく生存していく為の知恵として、男女の役割分担と分権が、経験則や暗黙の了解として自然に形作られていきました。

男性の「役割」

男性の役割は、体力を活かして家の外で働き、コミュニティを守り、恵みを持ち帰る事でした。

例えば、次のような役割を主に担いました。

・狩猟、害獣駆除
・農耕、土木、治水、建築、救助
・漂泊民との付き合いと警戒
・侵略、防衛

・狩猟、害獣駆除

自分だけでなく、家族に食べさせる為に鳥獣や魚類を捕獲しました。

害獣が集落を襲えば男が退治しましたし、頭数が増えすぎて食料不足で里に降りてこないように、山中に定期的に入り込んで害獣の数を減らして予防しました。

銃がない頃は槍や弓矢で、熊、猪、狼、野犬、鹿、猿などと戦わねばなりませんでした。

一人がミスをするとチーム全体が危険に晒されるため、体力が近い者達同士で役割を担う必要があり、女性は入れないという鉄の掟が作られました。

・農耕、土木、治水、建築、救助

台風や水害などの自然の脅威から家族やコミュニティを守る為に、または、より効率よく自然の恵みを得る為に、体力を活かして日常業務や工事や建築などを行いました。

また、火災や地震によって命の危険に瀕した人の救助活動や災害からの復旧には、体力に優れた男性の尽力が必要でした。

燃え広がるリスクの高い強風の夜には、「火の用心」と拍子木を叩いて回るような予防策を行うような例もありました。

・漂泊民との付き合いと警戒

私が学生の頃の社会科の教科書には、下記のような内容が書かれており、授業で教えられたことを覚えています。

「はじめは洞窟暮らしの民が狩猟採集で生計を立てていたが、大陸から農耕が伝わり、平地に家を建築して定住するようになっていった」

まるで、大昔に狩猟採集民が農耕民族に進化したかのような印象を植え付けられました。

しかし、実態は違ったようです。

日本列島には千年以上もの間、山中の洞窟やテントで移動しながら暮らす「サンカ」や、川に船を浮かべて生活する「エブネ」と呼ばれる漂泊民が1950年ごろまで存在し、農耕する定住民と棲み分けが行われていました。

(明治ごろから学校教育の普及、税収の安定化、治安維持などのために平地に定住することを求められ、警察によって取り締まりの対象となりました。そして戦後に作られた住民登録法の影響などもあって、現在はサンカやエブネは存在しないようです。)

現代のような充実した警察組織がない頃、定住民にとっては治安も大きな悩みの種でした。

定住民と漂泊民は生活習慣や道徳や倫理観が異なるので、仲良くできた事例もあれば、トラブルを生んだり、争ったり、奪い合ったり、差別しあったりする事例もありました。

神出鬼没で同じ教育を受けておらず、文化や価値観や思考が異なる者たちから、家族やコミュニティを守る為に男性達は自警せざるをえないこともありました。

・侵略、防衛

自然環境や人口分布の違いから、土地によって得られる恵みに差があるので、定住コミュニティにとっては、より有利な土地や利権を手に入れ、支配することが課題になりました。

家族やコミュニティを守るため、または、より効率よく恵みを持ち帰るためには、時には他人の土地や利権を侵略し、支配したいと思うようになりました。

抵抗にあい、武力衝突が発生すれば命を失うこともありましたが、そのリスクをおってでも手に入れる価値があると思えば、侵略を行いました。

逆に、他のコミュニティが武装しこちらに侵略してくることもありました。

侵略を甘んじて受け入れてしまうと、自分や家族が殺されたり、生産物や労働力などを略奪される可能性がありました。

そのため、普段から武装を整えて訓練をし、侵略に備えました。

また、侵略と防衛をうまく行うためには、戦場となる地域の縮図に駒を置いて、戦略を考える必要がありました。

脳や体のどのような働きによるものかは未だ解明されていませんが、盤上の駒を動かして戦略を考える能力は、昔から現代に至るまで女性より男性が優れているようでして、例えば将棋のプロ棋士(四段以上)に2021年時点で女性が未だに存在しない事実からもその能力差は類推されます。

そのため、武装集団を指揮する役割も、大坂城で淀君が指揮をした例外などを除き、ほとんどの場合において男性が担いました。

男性の「役割からの開放」

男性が上記のような役割を担わなければならなかった理由は、下記の要因によって徐々になくなっていき、開放されていくことになりました。

・食糧事情の改善と医術の発達
・治安の改善
・インフラの改善

・食糧事情の改善と医術の発達

昔は食糧が限られ、医術も発達していなかったので、現在のように「女性だって鍛えれば男性より強くなれる」ような恵まれた時代ではありませんでした。

同じ食事量や運動量でも、男性は女性より筋力が強くなり、薬等に頼らなくても体調が安定し、生産性の期待値が高いことが経験的にわかっていたので、体力的にキツくて命の危険が伴う役割を男性に担わせるのが効率がよかったのです。

そして、その期待値の高さを測るシグナルとして、生まれた時に外から見える体の構造(性器など)を根拠に判断する知識しかありませんでした。

そのため、(脳や遺伝子の性別は関係なく)外見が男である者に、命をかけて女子供を守る役割を担うよう、教育と意識づけを行っていくという生存戦略が取られていくことは、自然の成り行きでした。

しかし、現在は食糧事情が改善され、医術もトレーニング方法も発達し「女性だって鍛えれば男性より強くなれる」時代になりましたし、脳の性別に体をある程度合わせることができるようになってきました。

現在は、女性自衛官がレンジャー訓練を修了したり、消防のレスキュー隊を目指したり、マタギになって山生活を営んだりしている例があるようですが、まだ「珍しいから目立つ」程度の人数である事は言うまでもありません。

・治安の改善

明治から戦後すぐの頃の警察などの働きによって、サンカやエブネなどの漂泊民が全て住民登録され、半ば強制的に定住させられました。

基本的に日本列島に居住する人間は全て戸籍管理され、教育の義務が課せられました。

定住コミュニティの道徳や倫理観が当たり前のものとなり、「定住民にとっての治安」が徐々に改善されていきました。

治安は現代的なテクノロジーに身を固めた警察や自衛隊や同盟国の軍隊といった、少ない人数の専門家に任せることができるようになり、町内会単位のような規模で、男性が治安を守る役割を担う機会は随分と減りました。

(消防団などは現在も残っています。)

・インフラの改善

水、風、熱、燃料、磁力や電力などを利用する動力をはじめとした、様々なテクノロジーの発達によって、便利で水準の高いインフラが整備されました。

以前よりも少ない人数で、効率よく災害などからコミュニティを守り、自然から恵みを得て、素早く安全に輸送することができるようになりました。

また、新聞・ラジオ・映画館・図書館・雑誌・テレビ・インターネットなど、情報インフラの発達により、為政者の恣意的な情報統制が及ばなくなっていきました。

コミュニティを守るための手段だったはずの「侵略」や「防衛」が行きすぎると、逆にコミュニティにとって害になる結果をもたらす事が多いこともわかってきました。

狭い世界で自分たちが経験で作り出したものだけではなく、世界中で得られた知恵や教訓を一人一人が手にいれる事ができるようになりました。

民主主義、資本主義、社会主義、倫理、人権、多様性などのイデオロギーを学ぶ機会を得て、従来の性別の役割に縛られる事なく、個人の生き方を考えることができるようになってきました。

男性の「権力」

かつて男性の権力は、家督相続できることでした。

土地や財産は、一家や一族の中から男性一人が選ばれ、継承しました。

昔は現在よりも、努力で財産が増えにくい世の中だったので、財産を子孫に平等に分割していったところ、世代を経るにつれてだんだん貧乏になっていく窮状を招きました。(平安末期の武家社会など)

ですので、代表者一人が財産を継承していくほうが、一家を効率よく未来に残していくためには有効であるという知恵が生まれ、家督相続という制度が作られ、運用されてきました。

例えば、長男、長女、次男の順に生まれた3人兄弟の場合、長男に相続権があり、長男が死亡した場合は長女を飛び越えて次男に相続権が移りました。

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これがいわゆる「男女差別」の象徴的な題材として扱われることがあります。

男子が生まれると喜ばれ、女子しか生まれないと、

・「女腹」

などと言って奥さんを蔑むような振る舞いがあったり、子供が産まれない場合は奥さんばかりが非難されたり、責任を感じて苦悩するというような痛ましい付随事例がありました。

(現代では子供の性別の決定要因については様々な説があるようですが、女性ばかりに責任があるという考えは否定されています)

しかしここで論点としたいのは、非科学的で不当な責任問題や周囲の態度といった付随事例ではなく、機能としての家督相続です。

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この権力の継承には大前提として、先にも挙げたような、

・狩猟、害獣駆除
・農耕、土木、治水、建築、救助
・漂泊民との付き合いと警戒
・侵略、防衛

といった、男性が果たすべき役割を同時に継承しなければならない義務を負うことも意味しました。

この義務を果たさなければ、一家が途絶え、子孫が未来に生き残れないという、生物としての根源的な欲求に不安が生じてしまいます。

マズロー_生理的欲求と安全欲求

マズロー_安全欲求

(参考:マズロー著『人間性の心理学』Abraham Harold Maslow “Motivation and Personality” (first edition: 1954, second edition: 1970))

マズローの欲求五段階説を参考に考えると、食糧事情や医術、治安、インフラが低かった当時の情勢で女性が家長になるという選択は、「安全欲求(安全に暮らしたい)」という基礎的な欲求を揺るがすことになってしまいます。

(中には役割を立派に果たせる女性もいるでしょうし、役割を果たせなかった男性も当然いました。しかし、先ほども述べましたが、これは「期待値」や「確率」の問題として考えてください。)

ですので、何より当事者である女性達自身が家督相続を望まなかったことは容易に想像できるでしょう。

男子が産まれない場合は、わざわざ養子縁組などを行ってまで、男子に家督を引き継ぎました。

 

また、家督を引き継いだ男性には、文句を言わせず義務を果たさせるための手段として、家族やコミュニティによっては、例えば次のような手段をとる事がありました。

・家長は夕飯のおかずを一品追加
・家長は南向きの広い部屋で寝泊まりする
・男子に学費を集中投資

そして、これに見合った活躍がなく、恵みを家族にもたらすことができない男性や、隣人と比較して劣る男性は、

・「うだつが上がらない」
・「万年平社員」

などのように、家族やコミュニティから蔑まれる事もありました。

長い間、働き盛りの中年男性の自殺率が高い原因の一つに、家族やコミュニティが求める義務の重さに対する精神的拘束や重圧も含まれるのではないかと想像する事がよくあります。

また、稼ぎのない男性が、特定の女性に生活費を与えられて暮らしている場合は、

・「ヒモ」

という蔑称を与えられましたし、本来のフランス語のニュアンスとは異なりますが、

・「ジゴロ」

と呼ばれることもありました。

権力だけにフォーカスすると「男尊女卑」に見えてしまいますが、義務に付随する精神的拘束や重圧も同時に継承させられていたトレードオフの関係を視野に入れると、単純に男性ばかりを非難できなくなるのではないかと思っています。

男性の「権力の陳腐化」

時代の変化とともに、

・食糧事情の改善と医術の発達
・治安の改善
・インフラの改善

などがなされ、法律も変わりました。

相続は基本的に、男女に関係なく、配偶者に半分、残りの半分を子供が分割するようになりました。

貯蓄が増えて豊かになり、女性が活躍できる職場が増えたことによって、女性にも学費を投じるメリットが徐々に増えていき、男性だけ特別に集中投資する意識が薄まってきました。

(学費投資額の性差別意識の是正については、まだまだ不十分という声も多いです。)

また、肉体労働の従事者がオフィスワーカーに比べて低賃金である事が多く、肉体労働に対するリスペクトの気持ちを忘れてしまったような言動が増えました。

かつて男性の権力を支えた筋力の優位性を、オフィスワーカー達の意識によって、自ら手放す道を選んだことになります。

これらの要因によって、男性は役割から開放される代わりに、無自覚に権力も失うことになりました。

とはいえ、良い面を捉えれば「役割と権力のトレードオフ」が必要のない世の中がやってこようとしている、とも言えるでしょう。




女性の「役割」

かつて女性の役割は、子を産み、育て、家の内で働き、男性を支援しつつ、できる範囲で生産活動を行うことでした。

例えば、次のような役割を担いました。

・妊娠、出産
・家事、育児
・できる範囲で維持、生産活動
・財産管理
・コミュニティの寄り合い

・妊娠、出産

現代ほど食糧事情や医術が発達していなかった頃は、子供の生存率が低かったため、可能な限り子供を多く出産する事が、家族やコミュニティ維持のために望まれました。

子供を多く授かることは、

・「子宝」

と呼ばれ、祈願され、寿がれました。

・家事、育児

体力的に差がある男女が、屋外の力仕事を同じペースで働こうとすると、生産性が低い方にペースを合わせるか、生産性が高い方が多めに負担してフォローするか、劣る側が無理をして体を壊してしまうリスクがあります。

また、妊娠中の屋外活動は生産性が低く、リスクも高いため、男性に比べて家の内にいる時間が必然的に長くなります。

粉ミルクという選択肢がない時代や、粉ミルクに対する信頼が低い頃は、母乳がなければ子供は育ちませんでした。

これらの事情から、家の内にいる時間の長い女性が、家事や育児を主に担うのが効率的とみなされました。

炊事、掃除、洗濯、育児など、家の内で必要な仕事を担う事が多くなりました。

貴族社会、武家社会、管理者階級、近代的な組織に属する社会では、男性が外で役割をはたせるように支援する事が奨励され、男性が成功した場合には、

・「内助の功(ないじょのこう)」
・「鶏鳴の助(けいめいのたすけ)」

などの言葉で、支える女性が賞賛されました。

この言葉は現代でも、スポーツ選手を支える配偶者などに使われる場面をよく見ます。

例えば、プロ野球選手の奥さんや、女性ボートレーサーの旦那さんなどです。

・できる範囲で維持、生産活動

漂泊民の狩猟採集社会では、男性よりも狭い範囲に限定はされますが、食べられる野草や果物を探し、燃料となる薪や日用品を作る素材を集めました。

船上で暮らしたエブネの場合は、女性が船の漕ぎ手を勤めることもありました。

定住民の農耕社会では、男性と一緒に農作業を行うことも多かったため、ある程度の力仕事をこなせたり、内職で売り物になる手工業製品を生み出せる器用さをもった女性が「良い嫁」の定義である場合もありました。

近代以降では、就業先を結婚で寿退社したあと、家計を助けるために、時間的に制約がある中で可能な範囲で、近所の職場で働いたり、パートタイムや内職などに従事する例が多くありました。

雪深い地域では家の周囲やコミュニティ共用道路を確保するため雪退け、雪かき、雪おろしを行いました。

(しかし、雪国でも深夜から朝にかけてのシフト時間で除雪車を運転する女性を見かけたことが私にはありません。もしかしたら私が知らないだけで、稀に存在するのかもしれませんが、やはり男性に比べると女性のインフラ維持のための活動範囲は現代でもかなり限定されているように見受けられます。)

・財産管理

男性が持ち帰った恵みや、女性自身が生産した財産を、日常で安全に効率よく運用する役割については、女性が担いました。

かつては食べ物や日用品を無駄にしない知恵、長く保存を効かせる知恵、節約する知恵、修繕技術などを継承し、運用しました。

財布を握るようになった近代以降は、

・「単式簿記による家計管理」

が流行し、食料や日用品などの調達先の選定と消費の配分、貯蓄、家や車や家電などの資産運用、旦那の小遣いや子供の学費や保険などの投資先の選択を行いました。

また、戦後の、

・「フライパン運動」

などの影響を受けつつ、家族の栄養管理や健康管理を担いました。

・コミュニティの寄り合い

町内会、部落会、隣組、婦人会、学校の授業参観やPTAなどの寄り合いに家族を代表して参加する役割を担いました。

年度のイベントなどで親族が本家に集まると、買い出しや台所作業を女性達が一手に担いました。

豊富な会話量で情報交換を活発に行い、地域や血縁者との良好な関係を維持し、円滑なコミュニケーションを行える者が有能とされました。

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この役割に関しては、中国山東省で女系中心コミュニティを形成しているモソ人の社会で、男女逆の現象となっているのが比較対象として興味深いです。

モソ人の社会では、女性が家督を相続し、男性が家族を代表して地域の寄り合いに参加する役割を担っているそうです。

家督相続とコミュニティの寄り合いの役割分担という点で共通項が見えるようで、ついつい関連づけして類推してみたくなります。

(参考:曹 惠虹「女たちの王国: 「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす」Choo WaiHong ”THE KINGDOM OF WOMEN Life,Love and Death in China’s Hidden Mountains”)

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女性の「役割からの開放」

女性が上記のような役割を担わなければならなかった理由は、下記の要因によって徐々になくなっていき、開放されていくことになりました。

・食糧事情の改善と医術の発達
・治安の改善
・インフラの改善

・食糧事情の改善と医術の発達

子供の生存率が高まりました。

「子宝」よりも「家族計画」が重視されるようになり、女性が家にいなければならない必然性や、期待、確率、割合が減ってきました。

栄養価の高い安全な食料がいつでも安価に、容易に手に入るようになりました。

自然から得たままの扱いにくい食材を、手間暇かけて加工調理する機会が減り、より便利な食材を、近くの市場やお店から、短期間に必要な分だけ、細かい単位で購入できるようになりました。

外食産業や調理済み加工食品などの発達により、食事を準備しなくても良い選択や、より短時間に食事準備ができる機会を得ました。

サプリメント、医療用品、薬品が手軽に手に入るようになりました。

様々な病気のメカニズムが解明され、医療保険制度によって質の高い治療を誰でも受けられるようになりました。

個人差はあれ、体調のコントロールが可能な女性が増え、職種によっては男性に負けない生産性を発揮できる場面が増えました。

・治安の改善

野生の害獣が駆除されたり、日常的に観察または管理されるようになりました。

野犬はすぐに捕獲される体制が整いました。

また、漂泊民が姿を消しました。

一定のエリアごとに警察署や交番や消防署が配置されました。

街灯が設置され、以前と比べると、夜道や林道などを女性一人でも比較的安全に通行できるようになってきました。

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「治安」という言葉の意味が「対自然」から「対男性」に変化していきているのが、良い傾向だと私は思っています。

しかし、この変化の前提を無視して、あたかも、昔から女性が「対男性」の治安に苦悩してきたかのような論調で社会に対する問題提起を行う人々をテレビなどで見ることがあり、困惑する事が稀にあります。

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・インフラの改善

電気、ガス、水道、鉄道、道路、船舶、航空機などの日常を支えるインフラが、ほとんどの地域で当たり前のように、安価に、または税収からの富の再分配によって、提供されています。

ダムによる治水、防風林、護岸、落石防護、耐震インフラなど、まだまだ不満点がある人々も多いようですが、時代が進むごとに、より安全に、または素早く復旧できるように、体制が整ってきています。

結果、地域の寄り合いが自助によって果たすべき役割は徐々に減少していき、逆に、古い因習に縛られた無駄な負担とみなされ、忌避される事が多くなりました。

また、情報インフラの発達によって女性の意識改革に繋がり、女性の社会進出や、女性活躍の気運が高まっています。

女性の「権力」

かつて女性の権力は、日常の経済の裁量権をもっている事でした。

社会が貧しい頃は食糧の分配を行い、社会が栄えて安定してくると家計を管理しました。

詳細は、この記事の序盤に「しゃもじ」や「財布」などで述べていますので、ここでは割愛します。

女性の「権力の陳腐化」

女性も男性と同じように働いて稼がなければならない時代となりました。

「男性も家事や育児を行うのが当然」という風潮を作り出し、日常の経済の役割についても男性に担ってもらうと同時に、裁量権をシェアする道を選びました。

もし、成人しても実家に住んで収入を得ていない場合、昔は女性に限り自己紹介やプロフィールなどに、

・「家事手伝い」
・「花嫁修行中」

などの身分を使用することも多くあり、社会的認知を得ていました。

しかし現代では男性と同等の扱いとなり、

・「無職」
・「ニート」
などと呼ばれます。

そして、無職だったり、働いてはいても自分で生活費を工面できるほどの収入なく実家に住んでいると、個人ごとの事情にかかわらず、自分を卑下したり、人から蔑まれるような場合には、

・「パラサイトシングル」

という悪意ある呼び方をされることもあります。

 

これまで繰り返し述べているように、

・食糧事情の改善と医術の発達
・治安の改善
・インフラの改善

これらの要因によって社会が安定してくると、女性はこれまで果たすべきだった役割の比重が減っていき、時間的にも体力的にも余裕が生まれてきました。

代わりに男性と同等の、いわゆる「社会的地位」や「収入」を得たいと思う人が増え、声を上げ始めました。

と同時に、これまで女性が無自覚に握っていた「日常の経済の裁量権」という権力を捨てる道を選ぶことになりました。

そして、男性が抱えていた精神的拘束や重圧を女性も担うことになりました。

例えば、もともと商業高校は、普通科や工業科に比べて女子生徒が多い傾向があり、簿記や計算能力などを身につけ、大人になるとその学歴を活かして事務職につく者が多くいました。

しかし、事務職のハイスキルである税理士や社労士の受験者は、毎年、女性より男性の方が多いという現状があります。

例えば税理士の場合、1科目あたりの600時間の勉強でようやく当落ラインに乗るような、合格率10%の難関試験を6回合格しなければならない過酷な試験を、数年にわたり働きながら予備校に通って受験する男性に比べて、女性の少なさを鑑みてみましょう。

世間で言われているように、男女の収入格差が必ずしも「男性優位社会」だけが原因で形成されているのではないことは明らかです。

医学部の合格率が男性より女性の方が高いならば、これから税理士や社労士も女性が増えて然るべきでしょう。

かつて収入の低い男性が、「うだつが上がらない」「万年平社員」と呼ばれたように、これからは女性に対しても「社会的地位を得るための努力」という厳しい目を向けられる時代が来そうだと感じます。

とはいえ、女性も男性と同様に「役割と権力のトレードオフ」が必要のない、自由な世の中になってきたとも言えるでしょう。




例外

ここでは、

・食糧事情の改善と医術の発達
・治安の改善
・インフラの改善

の3つの要素では解決しきれない例外について、

・災害現場
・業種

を取り上げたいと思います。

災害現場

食糧事情や医術、治安、インフラが高い水準で安定している場合に限り、男女はそれぞれの役割から開放されることが多くなりました。

ただし、被災地などに仕事やボランティアで行ったことのある人や、被災された経験のある方はご存知の通り、いわゆる「男手」「女手」で有無を言わさず役割分担が行われる場面はあります。

食糧事情や医術、治安、インフラが崩れると、一時的に全員の価値観が一枚岩になり、団結して協力体制をとる必要が出てきます。

そんな時には、自分の行動様式がシンプルに生き物としての本能に近づき、自分がなすべき役割を意識するようになります。

周囲の人々との関係でも、なすべき役割を求められ、かつ、求めるようになります。

男性は女性よりも力があり、女性は男性を支援する役割に徹しつつ、できる範囲で重労働もこなします。

稀に男性に混じって力仕事を買ってでる女性もいますが、珍しいから目立つ程度の人数であることはいうまでもありません。

中には治安の不安定さを良いことに狼藉を働くものも男女問わずいるようですが、しかし外国と比べて災害現場で略奪や暴動が起こりにくいのは、長い間日本列島で暮らしてきた定住民達に刷り込まれてきた「役割」と「協力」に対する意識の土台が無自覚に働いているからではないかと思えてなりません。

そして、このような協力体制が常時働いて機能していたのが、現代的なテクノロジーに依存する前の、近代以前の日本の定住社会だったのでしょう。

男女の役割分担を、表面だけ捉えて「男女差別の悪しき因習」と呼ぶような浅慮は避けねばならないと私は考えています。

業種

男女の収入格差や社会的地位について論じられる時、企業の役員比率が話題に上がることがあります。

例えば、東証1部上場企業の女性役員比率は2020年3月期で7%でしたが、経団連は2030年までに30%に引き上げることを目標としています。

業種によっては、どうしても女性が活躍できない企業もあるでしょうから、完璧に全ての業種で「男50:女50」は現実的でないのは明らかです。

東証1部上場企業の業種一覧をざっと眺めてみるだけでも、機械、建設業、陸運業、金属製品、鉄鋼、非鉄金属、倉庫運輸関連業、電気ガス業、海運業、鉱業など、素人目に見ても約500企業は「ここで女性役員比率50%は難しそうだし、行政の命令などによって無理矢理断行すると、無理解や意思決定の遅延が頻発して現場の反発を招きそうだ」という予感がしています。

※このあたりの詳しい考察は、後ほど別の記事で述べる機会があればと考えています。

災害大国である日本列島で暮らすことを考えると、インフラの維持と補強は今後も半永久的に重視しなければならない課題です。

様々なテクノロジーの発展で人力の役割が劇的に減ったとは言え、まだまだ過酷な肉体労働が多い実情を鑑みると、もし男女の役員比率が完全に半々となり、収入格差も完全になくなるような社会は、別の面で歪さを招くでしょう。

女性が活躍できるような、治安とインフラが整った社会を維持するためには、男性の下支えが必須条件です。

そこに収入面で格差が生じないのはむしろ不自然なので、女性が不当に職業選択の自由と出世機会を妨害される状況を避けつつ、また生活に困窮する状況を生まないようにしつつ、平均的な高水準を目指しながら、バランスの取れる良い点を模索すると、「男性50:女性50」よりもやや男性側に偏る方が自然ではないかと考えています。

まとめ

男女平等とは、「定住者を守り、発展する手段の一つです。

食糧事情、医術、治安、インフラが高水準で安定している場合にのみ有効な、技術依存を前提とした手段です。

災害などによって、食糧事情、医術、治安、インフラが崩れてしまうと、どうしても性別による役割分担が必要となるので、男女平等では復旧と維持が困難になります。

よって、普段から完全な「男性50:女性50」ではなく、災害が多い日本列島の環境に合わせて、憂いに対する備えを意識するならば、ある程度男性側への偏りが必要となります。

また、漂泊者を守る手段として機能するかどうかについても、現状は疑問があります。

例えばモンゴルの大草原を遊牧する人々の社会では、日本の定住社会とは異なる食糧事情、医術、治安、インフラがあるため、男女の役割分担と分権がより強固に成立していると思われるからです。

西遊記で「女人国」が登場する場面があることからもわかるように、かつてユーラシア大陸には、ぽつぽつと「女系社会」が点在していたようです。

しかし中国山東省のモソ人の村のような一部の例外をのぞき、その殆どが男系社会に制圧されていった事実を鑑みると、やはり男系社会が「防衛」の面で優れていた事は疑いようのない事実です。

男尊女卑も手段の一つ。女尊男卑も手段の一つ。

男尊女卑や女尊男卑と比べて、男女平等の方が先進的で、全ての状況で優秀な社会であるとは、必ずしも言えません。

しかし、社会から押し付けられる役割に精神を押しつぶされ、生き辛さを感じるような人々が可能な限り少ない社会であって欲しいと願うと、今のところ「男女平等」を目指していく方向性が、ベストではないにしろ、今の日本にとってベターな選択なのではないかと考えています。

ただし、今後も男性が担わなければならない役割に対するリスペクトや、女性にしか果たせない役割に対する配慮と支援は忘れてはいけないものだと考えています。




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