「高卒初任給」「大卒初任給」という言葉があるように、学歴で給与に差がある時代がありました。
一部の企業では現在もその名残があります。
「高卒初任給」「大卒初任給」というのは、文字通り「初めての月給だけ」を意味するものではありませんでした。
年功序列の給与制度でしたので、その後何十年にも渡って覆しようの無い、大きな開きを意味するものでした。
下の表に、その例を挙げます。
年功序列_基本給の例 | 高卒 | 大卒 |
---|---|---|
初年度 | 170000 | 180000 |
2年目 | 172000 | 183000 |
3年目 | 174000 | 186000 |
4年目 | 176000 | 189000 |
5年目 | 178000 | 192000 |
6年目 | 180000 | 195000 |
7年目 | 182000 | 198000 |
8年目 | 184000 | 201000 |
9年目 | 186000 | 204000 |
10年目 | 188000 | 207000 |
11年目 | 190000 | 210000 |
12年目 | 192000 | 213000 |
13年目 | 194000 | 216000 |
14年目 | 196000 | 219000 |
15年目 | 198000 | 222000 |
16年目 | 200000 | 225000 |
17年目 | 202000 | 228000 |
18年目 | 204000 | 231000 |
19年目 | 206000 | 234000 |
20年目 | 208000 | 237000 |
21年目 | 210000 | 240000 |
22年目 | 212000 | 243000 |
23年目 | 214000 | 246000 |
24年目 | 216000 | 249000 |
25年目 | 218000 | 252000 |
26年目 | 220000 | 255000 |
27年目 | 222000 | 258000 |
28年目 | 224000 | 261000 |
29年目 | 226000 | 264000 |
30年目 | 228000 | 267000 |
31年目 | 230000 | 270000 |
32年目 | 232000 | 273000 |
33年目 | 234000 | 276000 |
34年目 | 236000 | 279000 |
35年目 | 238000 | 282000 |
36年目 | 240000 | 285000 |
37年目 | 242000 | 288000 |
38年目 | 244000 | 291000 |
39年目 | 246000 | 294000 |
40年目 | 248000 | 297000 |
41年目 | 250000 | 300000 |
42年目 | 252000 | 303000 |
スタートから既に差があり、年を経るにつれて、高卒者よりも大卒者の方が、一律に自動的に給料が上がっていくシステムです。
戦後の好景気に人手不足にならないよう、より高給の職に乗り換えていくよりも、一つの会社で長く働く方がメリットが大きくなるようにしたのです。
また、上の表は基本給だけを表示しましたが、学閥の存在などにより大卒者の方が出世の機会も多く、様々な手当によってさらに差が開いていく傾向にありました。
(もちろん、ごく一部ではありますが、現場からの叩き上げで高卒者でも力強く出世して高い給料を得た人々もいました。しかし、それは全体的な学歴による賃金格差を否定するものではありません。)
しかし、高度経済成長を経て、一億総中流の時代が到来します。
諸外国と違って、日本人には貯金をする習性もありました。
低学歴の親が収入を支える家族にも、子供への投資力がつき、70年代半ば、受験フィーバーが起こりました。
学歴社会の現実を目の当たりにしてきた親たちは、自分の子供にも同じ苦悩を味あわせたくないという気持ちが強く、また、親同士の競争心も相まって、子供の学力に投資をし始めます。
受験フィーバーに前後して、「学力偏差値」が徐々に導入されていきました。
最初は集計データも少なく、それほど精度の高いものではありませんでしたが、1979年に共通一次がスタートし、これを機に精度が高いものになっていきます。
やがて私立大学もセンター試験を利用するようになって学力偏差値の価値はどんどん高まっていき、リアルタイムに勉強をしていない親にも「数字」という理解しやすい指標で子供を評価できてしまう時代になりました。
以上の時代の流れを振り返ってわかるように、1979年以前に学校を卒業して働き始めた世代の人々は、偏差値教育の過酷さと苦悩を知りません。
むしろ物質的に豊かになった分、前の世代より恵まれていて、楽で幸せな人生を歩んでいるとすら思っているでしょう。
私達の多くは、自覚の有無に関わらず、偏差値教育によってもたらされた心の問題を抱えています。
私達は「偏差値教育によって失われたもの」と向き合い、取り戻す必要があると思っています。
結論から先にお伝えすると、「偏差値教育によって失われたもの」とは「自己肯定感」です。
そして、「自己肯定感」を取り戻す方法の一つとして提案したいのが「アジャイルな人生設計」と「適応型計画」です。
「アジャイル」という、見慣れない言葉に身構えた方もいるかもしれませんが、それほど難しい内容ではありません。
これから順を追って、詳しく説明していきたいと思います。
大人の期待が子供を歪める
「子供の頃の夢は何でしたか?」
「大人になったら何になりたかったですか?」
という質問が、好きではありません。
私は子供のころ、大人に夢や目標を持たされるのが負担でした。
夢や目標に向かって努力する自分でないと、認めてもらえないような気分。
今の自分を否定され、別の何者かにならなければならない、と宣告されている気分。
これが私の自己肯定感(ありのままの自分を肯定する感覚)を下げた原因の一つだと思っています。
夢や目標を持つ自由は否定しません。
夢や目標を持つなと言っている訳ではないので、誤解しないでください。
ただ、今の世の中に一つ疑問を投げかけたいのは「成長」という呪縛に囚われすぎていませんか?という事です。
子供が大人の様子を見て、自然と憧れや尊敬の念を抱き、自分もああなりたいと願うのは素晴らしい事です。
でも大人が子供に対して「夢を持て」「目標を持て」と命じたり、「誰のようになりたい?」と問いかけるのはおかしいと思うのです。
夢や目標が人によって異なるように、夢や目標を持つタイミングも人によって異なります。
そのタイミングは早ければよいというものでもなく、また「小学校へ上がったから」とか「家族や親戚やご近所がこれ位だから」などの外的要因で決めるべきものでもありません。
毎年、第一生命が「大人になったらなりたいもの」という作文コンクールを開催し、人気職業ランキングを発表しています。
その作文コンクールに応募した子供は、自分でそのコンクールを見つけて、応募したいと思って書いた文章なのですか?
人生設計のタイミングは本当に早いほうが良いのか
体の成長に個人差があるように、脳や心の成長にも個人差があります。
体だけ先に大人になり、脳は子供のままという事もあるでしょうし、その逆もまた当然あります。
高校生が興味の赴くままに「子供向け」と呼ばれるコンテンツを見たり収集したりしていても不自然なことではありませんし、小学生がビジネスに興味を持てば大人顔負けの商才を発揮しても不思議ではありません。
年齢などによって「あるべき姿」を規定し、型にはめるように「成長」を急がせたり、「出る杭を打つ」ような事をしてきたのが今までの日本でした。
・皆一斉に就職活動をしなければならない
・就職活動では、皆とは違う自分をアピールしなければならないが、皆と同じ手法でアピールしなければならない
・そして就職後はまた、皆と同じ仕事ができ、辛いことは同じように耐えなければならない
そして、上記のすべての場面で「競争」がつきまといます。
競争社会では、早く人生設計を決める事が推奨されます。
早期に未来の自分を思い描き、他人より先んじてお金や時間や労力などを自己投資できれば、他人より「有利」になるからです。
子供をピアニストに育てたい親は、幼稚園児の頃から英才教育を受けさせます。早く始めないと絶対音感がつかないからです。
自分の夢を子供に託して、プロゴルファーやボクシングの世界チャンピオンを育てた人もいました。
大病院の院長婦人が、自分の子供を医者に育てた教育法をテレビなどで披露する事もありました。
彼らのような、一見成功例に見える教育法の裏側に、注目されることのなかった不成功例の人々が、どれだけ溢れているでしょうか。
最近はネットの発達により様々な価値観や生き方がシェアされ、経済的な閉塞感や心の問題から、子育てもだいぶ見直されてきているようですが、ほんの十数年前の日本では、親が子供に「進路の限定」を行う事を「夢を見せる」「目標を与える」などと言っていました。
そして「褒める教育」などで目標達成までのやる気を操作する手法が持て囃されていました。
子供の人生のハンドルを、それほどまでに握りたい親達が多かったのでしょうか。
いえ、実態はきっとこうでしょう。
「子供の将来を案じ、意思を尊重しながらも、誤った方向へだけは進まないよう導き、社会人としての責任は全うしながら、生き生きと自分らしく生きてほしい」
こんな、もっともらしい事を願う気分でいながら、無自覚に子供を自分の価値観の型に押し込め、苦悩させている親が多かった事と思います。
ウォーターフォールモデルの人生設計
ウォーターフォールとは、滝のことです。
水が上から下に落ちるように、始めに決めた事柄を、途中で戻すことなく最後まで順序よく行う事を「ウォーターフォールモデル」と言います。
人生の、ある特定の時期に将来を考え、人生設計を決めてしまう手法を、この記事では便宜的に「ウォーターフォールモデルの人生設計」と名付けます。
ウォーターフォールモデルの最たる例が、以前Twitterでも話題になった「人生のしくみ」と題されたこちらの画像です。

人生のしくみと題された画像
「下剋上受験<https://ameblo.jp/sakura-saiogauma/>」という本に掲載されていたとされるこの人生表に対して、
「吐き気がする」
「まるで奴隷だ」
「押し付けるのは親のエゴだ」
という感想ツイートが多く並びました。
ウォーターフォールモデルの人生設計は、計画的に見え、いかにも賢そうに見えます。
理想から逆算して、今行うべき事がはっきり見えるように感じるからです。
しかし、この人生設計には、「自分をとりまく状況が、多少の変化はあれ、それほど大きく変動しない事を見込める」という大前提があります。
しかし自分をとりまく状況など、個人の想定や努力の外で、いとも容易く崩れるものです。
東日本大震災や新型コロナウイルスを経験した今の日本人なら、その意味を実感と共に理解できるでしょう。
自分自身の価値観も、時と共に大きく変わります。
ウォーターフォールモデルの人生設計とは、「過去の自分に意思決定を委ねる」ということです。
将来の自分が、現在の自分の命令をいつでも受け入れられる状況とは限らないのです。
また、万が一すべてが無駄になってしまっても、誰も責任など取ってくれないのです。
ウォーターフォールモデルの人生設計は、自信がつき自己肯定感が下がる
ウォーターフォールモデルの人生設計を歩んでいる人は、自信はつきますが自己肯定感は下がってしまうという特徴があります。
なぜなら、現在や将来の自分の『あるべき姿』を固定し、それに自分を合わせていく人生だからです。

目標に合わせて努力と我慢をする
『あるべき自分』になるよう努力したり、我慢し続けないといけない人生です。
計画はかんたんに変更する事ができず、コミットし続ける事が求められます。
計画通りに進める事ができているうちは、自分に自信がつきます。
しかし『ありのままの自分』で居てはいけないので、自己肯定感は低いのです。
数式で表現すると、
となります。

『あるべき姿』-『ありのままの姿』=『自己肯定感の低さ』
ウォーターフォールモデルの人生を順調に歩んでいる人は、この『自己肯定感の低さ』に無自覚です。
なぜなら、自信が自己肯定感の低さを覆い隠していて、苦悩しないからです。

自信が自己肯定感の低さを覆い隠してしまう
しかしこういう人生を歩んでいる人は、ある日突然、計画通りに進まなくなると苦悩します。
自信で覆っていて、自覚することのなかった自己肯定感の低さが露呈すると、苦悩が生まれるのです。
自己肯定感の低い人が、自信を失うと苦悩する
例えば筆者は、大学を卒業してから最初に就職した会社を1年で退職しましたが、退職直後は自己肯定感の低さに苦しめられました。
「石の上にも3年という諺があるのに、たった1年で退職してしまった」
「会社にも迷惑をかけてしまい、もう同僚に合わせる顔もないから連絡を絶とう」
「親や期待に添えない自分など、生まれて来ないほうがよかった」

退職後の苦悩
・自分のような人間に対する世間の評価(就活の相場)
・自立してキャリアを積み、高収入になっていく事を無言に求めているように感じてしまう親の期待
あらゆるもので積み上がった『あるべき姿』が、重く私にのしかかりました。
ウォーターフォールモデルの人生設計によって作られた『あるべき姿』が、精神的なダメージを増大させた要因の一つであると、今は思っています。
自己肯定感が低いまま、自信を保てた人は、他人を加害する
ウォーターフォールモデルの人生設計を運良く順調に歩んでこれた人は、挫折し苦悩を吐露する人に対して、厳しい言葉を吐くことがあります。
「耐えられずに離脱した奴は努力や我慢が足りないのだ」
「自分が駄目だったのに、文句ばかり言っている奴は、ただの甘えだ」
「自己責任だ」
これらのセリフは、
・ブラック企業に就職し、出世した人々
・就職氷河期から生き延び、社会的地位を得た一握りの成功者
などが、SNSなどでよくツイートしています。
上記のような心理状態は、勉強や仕事だけでなく、例えば次のような問題も現実に発生させています。
・姑が、自分が嫁いだ頃はもっと苦労したと言って、改善を訴える嫁の現在の境遇を恵まれたものと断じて無視する
いかがでしょうか。
最初に『あるべき姿』を設定し、そこに合わせていく人生というのは、順調な場合は自信がつきますが他人を加害するようになり、計画通りに進まなくなると自信が損なわれ、大きな苦悩を生んでしまうのです。
これに対して、別のアプローチの人生設計があります。
それが、「アジャイルな人生設計」です。
アジャイルな人生設計
「アジャイル」とは、「素早い」「俊敏な」という意味です。
ウォーターフォールモデルのように「重く大きく人生設計を掲げる」のではなく、「素早く俊敏に人生設計を変えていく」というイメージを持ちます。
アジャイルな人生設計では、10代や20代のうちから「老後までに2000万円貯めなきゃ!」などと逆算して長期間の計画を固めてしまうような事はしません。
人生の計画を、より細かいタスクに分割して、その場で経験した事を活かして、変更したいときに、いつでも柔軟に変更できるようにします。
例えば、下記のようなイメージです。
【タスク1】できるだけ長く働いて経験を積もう。
【タスク2】資格を年に3つ取ろう。
【タスク3】業界に詳しくなろう。業界紙を毎月購読しよう。
【タスク4】慣れてきたらネットで副業を始めよう。
【タスク1】パワハラが多いブラックな職場だった。納得するまで頑張ったらいつか辞めよう。
【タスク2】せめて難易度の低い資格を1つ取ろう。
【タスク3】社内で業界紙を読んでいるのは自分だけのようだ。取引先の人に話を振ってみても記事の話題に着いてこれる人に出会わない。この業界は意識の低い人達ばかりなのだろうか?類似の別業種はどうだろうか?
【タスク4】残業が多く、とても副業などできない。
【タスク1】体調をだいぶ壊したが、無事辞める事ができた。
【タスク2】1つ資格を取得できた。面白いと思える内容だったので、来年はさらに上級の資格を目指そう。
【タスク3】類似の別業種で興味のある会社を見つける事ができた。求人にエントリーしてみよう。
【タスク4】体調が回復したら、就活しながらでも副業を始めてみよう。早期の収益化を目指そう。
上記のように、アジャイルな人生設計ではタスクを細分化して同時並行させます。
人生の成り行きを「会社だけ」「資格だけ」「個人事業だけ」のように、一つに依存するような事はしません。
キャリアは自分で作るものです。
始めからそう考えていれば、会社が自分を認めてくれないとか、給料が上がらないなどの不満が出そうになっても軽減できるでしょう。
承認欲求や自己実現欲求を、「職場だけ」「資格だけ」「収入金額だけ」などのように一つに求めないようにするのです。
また、【タスク2】で資格の取得数を変更したように、自分ができるタスク量を把握し、柔軟に変更します。
計画を初期にがっちり固めてしまうのではなく、状況に合わせて柔軟に変えていく、このようなやり方を「適応型計画」と言います。
「適応型計画」については、1997年に米国海兵隊が発行した「プランニング」(”Planning” United States Marine Corps)に詳しく掲載されているので、抜粋してご紹介します。
計画とは、望ましい未来を思い描くこと、そして、その未来を実現する為に、時間と空間に可能な行動の構成を整えることである。
計画とは、現在進行系の学習プロセスである、と捉えるべきである。
計画とは、現時点でわかっている情報と知識に基づいた暫定的な産物であり、新しい情報や理解が得られた際は、見直しの対象になる。
「アジャイル」と「刹那的」は違う
初期にがっちり計画を固めてしまう、古典的な計画の立て方を好む人から見れば、「適応型計画」はデタラメで無軌道なものに見えるかもしれません。
「初心忘れるべからず」「初志貫徹」などの言葉が好きな人にとっても、受け入れがたい部分があるかもしれません。
そういう人たちは、きっと私にこう言いたくなるでしょう。
「計画通りに進められない自分に言い訳しているだけなのでは?」
いいえ、違います。
「適応型計画」は、楽をする為や、刹那的な気分で計画の変更を許すようにはできていません。
なぜなら、結果がすべて自分に跳ね返ってくるからです。
そして誰も手助けはしてくれません。
そういう意味では、初期に固めてしまう古典的な計画よりも、厳しい人生を歩む覚悟が必要な計画の立て方と言えます。
古典的計画では、うまく行かなくなったら誰かのせいにできます。
例えば「最初に就職した会社に定年まで働く」「肩書きの信用で借金し、何年もかけて返済する」という計画を立てた場合、人生の成り行きを会社に依存する事になります。
偶然相性のよい同僚や上司に恵まれれば良い時間を過ごす事ができ、相性の悪い同僚や上司と一緒になった時は我慢を強いられます。
出世できないとか、給料が上がらないとか、上司が無能だとか、会社が自分を認めてくれないとか、不満を持つことが許されます。
自分ではない誰かが大きなミスを犯し、会社の経営が傾いたら、その人のせいにできます。
そして、リストラに合いそうになったら抵抗するのでしょう。
それに対して、アジャイルな人生設計ではキャリアを自分で作ります。
会社には依存しません。
基本的に、社内評価より社外評価を意識して時間を過ごすので、例えば社内コンテストがある場合でも、残業してまでプレゼンの準備に時間をかけるような愚は犯しません。いつもどおり定時に帰宅して資格の勉強をするのです。
心理的な面でも会社に依存するような事はしません。
同僚とプライベートで仲良くなる事、自分の居場所を作る事、上司に気に入られる事、これらの優先度はやや下がります。
人脈とは、自分が優秀であれば、誰かが勝手に自分をその人の人脈に組み入れるものです。
こちらが時間や気を使って人との関係を維持していくのではなく、向こうが時間や気を使ってこちらとの関係を維持したいと思わせる価値ある人間になるように頑張るのです。
その為の最低限のつながり、例えば、現在であればFacebookなどで繋がっておくのは有効な手段でしょう。
「適応型計画」とは、このように将来を見据えて自分を厳しく律することで成り立つ計画の立て方なのです。
状況に応じて常に計画を「見直し」する事を迫られるので、古典的計画にありがちな「十年も前に立てた計画を一度も見返さない」とか「計画通りに進んでいるかチェックしていない」などのような、計画を放置するような状況にはなりえないのです。
アジャイルな人生設計は自己肯定感を取り戻せる
ウォーターフォールモデルとは異なり、アジャイルな人生設計は自己肯定感が下がりません。
もし、両親や友人との相性が悪く、自己肯定感が低い人生を歩んできている人でも、アジャイルな人生設計に切り替えることで自己肯定感を取り戻すことが可能です。
その仕組みを解説します。
アジャイルな人生設計では、計画は固定するものではなく、状況に適応させていくものです。
『ありのままの自分』が状況判断を行い、計画を柔軟に変更していきます。

適応型計画のもたらす心理的効果
過去の自分に縛られず、無理や我慢をして計画に合わせていく事もないので、自己肯定感が回復します。
また、「自分で選ぶ」ことができるので、自尊感情が育まれます。
タスクを達成していければ、自信もついてくるでしょう。
やがて自尊心が芽生えてくるはずです。
自尊心が育まれる仕組みについて、より詳しく知りたい方はこちらの記事もおすすめです↓

まとめ
ここまで、偏差値教育とウォーターフォールモデルの人生設計が私達にもたらしてきた苦悩を紐解き、自己肯定感が下がる仕組みを振り返りました。
そして、それを改善する手段の一つとして、アジャイルな人生設計と適応型計画を提示させていただきました。
アジャイルな人生設計と適応型計画には厳しい面もあり、社会的には決して楽な道ではありません。
しかし、損なわれた自己肯定感を回復し、自尊感情を回復していけるという心理的な効果を見込む事ができます。
一度にすべてをアジャイルに変える事に抵抗があっても、少しずつ試して効果測定をしてみるのも良いかもしれません。
苦悩している人々にとって、わずかでも心の問題を解決するヒントにしていただければと願っています。
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